私、本を読みたい気持ちはあるのですが、なにしろスピードがない。
長く続かない。。。
そんなわけで、この1冊読むのにも長~~くかかりました。
見ての通り(汚れがある)いつの本? って思いますよね。
紙は色やけしてるし、字の小さいこと!
ヘルマン・ヘッセ
名前はよ~く知っていますが 読んだと記憶してるのは3冊だけ?
難しそうなイメージ
ところが意外にも読みやすいというのか、
植物などに対する目線が 細やかで愛情がある?
その部分に救われながら読めたと思います。
この本に出てくる主人公(ヘッセ自身がモデルらしい)が
神学校に良い成績で合格し、入学。 寮に入るのです。
その時の様子が、まあ何といえばいいでしょう。そうだ、そうだ。解かるわかる。。。
そんな思いをいだかせるように書かれています。それが私には興味深かったです。
私も、中学から親元を離れて寮に入ったものですから
初めて寮に入った時のこと、すっかり忘れていましたが、
この本のおかげで、幾つかの事を鮮明に思い出しました。
昭和32年? まだまだ戦後といってもよかったのかなあ~~。 子供の私は、そんなことは何も思うことなく、
何せ、四国の田舎町でのほほほ~んと日々を過ごして、成長していたわけです。
東京の学校に入学するに際しては、きっと、細かいあれこれを指示する書類も届いてたはずですよね。
準備するものも色々あったはずですが、そんなことはすっかり頭から抜け落ちてしまいました。
制服ではないけれど・・・何かの式の時には・・紺のスーツが望ましい。とあったんだろうと思います。
でも私は紺のスーツを用意してもらえなかった。
考えてみてください。 今でこそ既製品の服が簡単に手に入りますけど、あの時代、仕立てて貰わないと子供用のスーツなどありませんでしたよ。
ましてや、田舎町です。スーツは仕立てて貰ったのですが、紺ではなくて。。。
でも、何だろう? 特に嫌だとか、恥ずかしいだとか。。。
そういう感情を抱くこともなかったようで・・・その記憶がありません。
流石に、東京の方(他の方も)ほとんどの方は紺のスーツで写真に納まっています。
それと、もう一つ、私は革靴も用意できなくて、薄いグリーン系の、今で言えばビニール靴だったわ。
でも、そういうことの不満を親に言うこともなく・・・
ボーっとしてたのか? それとも新しい環境に放り込まれて、それどころじゃなかったのかな?
ド田舎育ちですが東京で中学生となりました。
何故? 東京の?
そこは。。。それ
親の考えですわね。私はぼ~とした子供でしたもの。
もう、60年以上昔のことになりました。 それなのに私、いろんな事柄を
自分中心にしか考えてなかったことに今頃、気付きました!
両親は、どんな気持ちで、私の入学の準備をしてくれたのだろう?
今とは時代が全く違います。
寮で過ごした、8年間というもの、手紙は毎日のように書きましたが
電話をすることは一度もありませんでしたし、掛かってくることもなかったです。
差し入れも、私の場合ありませんでしたね。
会いに来てくれることもなかった。一度も。
多少、寂しく思ったことはありましたが、田舎町の開業医の父。母も入院患者さんのお世話(食事づくり)で日々、忙しかっただろうと思います。
だから、入学式のあと、次に学校へ来てくれたのは卒業式でした。
春、夏、冬の休暇には勿論、飛んで帰省しましたが。。。
ぼんやりとした、田舎育ちの子供が、よくぞ今日まで無事に生きてこられたものです。
両親の苦労に感謝の思いがあふれてきます。本当に有難うございました。
お陰様で、tomokoは何とか無事に生きてこられました。
この感謝の気持ちは、学校に対しても同じ思いです。
あの学校で、私はわたしになれたのだと思います。
創立100年だそうです。 次の更なる100年に向かって。。。
寄付をいってきましたので、早速、今日感謝を込めて 送金してきました。
なんだか、とりとめなく書いてしまいました。
最近のコメント