サロンが終わって
早々と11月のサロンが終了。
サロンでは元、短大で音楽の授業をもってらした方の指導で季節に合った歌(主に唱歌など)を歌い、CDでの音楽鑑賞。
その後、楽しい茶話会。・・・という流れで10年余り経ちました。
が、参加されるメンバーは多少の入れ替わりはあるものの、同じような年代の方たちばかりなので、平均年齢が10年たてば10歳高齢になりました。そうなれば、活発な動きはダメ。皆さんなるべく大人しく座っていたい。
だから、来月12月はクリスマス会。
過去には〇✕クイズで〇と思う人は右へ! ✕と思う人は左へ! などと移動するような事や、
じゃんけんゲームで負けた人は勝った人の肩に手をかけて後ろへ続くような動くこともしていたけれど、いつの頃からかそういうものも止めになってしまいました。もしも事故でも起こしたら大変ですからね。
そろそろクリスマス会のことが気になり始めています。
話が最初に戻りますが、CD鑑賞のあと、私が5分ほどの時間をもらって、コラムのような話か何かをする事が多くなっています。
10月は秋の七草のひとつ、フジバカマと渡りをする蝶として有名なアサギマダラのことを少し調べて話をしました。
今回は話ではなく、児童文学?って言えばいいのかな・・・「でんでんむしの かなしみ」を読みました。
上皇后・美智子様が国際児童図書評議会で基調講演をされたときに取り上げられて話題になったとおもいます。
↓ あらすじ
一匹のでんでん虫が「いままで うっかりしていたけれど 私の背中の 殻のなかには 悲しみが いっぱい詰まっている」と気づき友達に話します。すると、友達のでんでん虫も「私の背中にも 悲しみは 一杯です」と。そこで別の・・・また別の・・友達も同じことをいうのです。 そこで「悲しみは 私ばかりでなく 誰でも持っている。私は 私の悲しみをこらえて 行かなきゃならない」ということに気付き、なげくのをやめたのです。
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「この話は、その後何度となく、思いがけない時に私の記憶に蘇ってきました。殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気付き、もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが、私の記憶に刻み込まれていたのでしょう。」少し大きくなると、初めて聞いた時のように、「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。生きていくということは、楽なことではないのだという、何とはない不安を感じることもありました。それでも、私は、この話が決して嫌いではありませんでした。」
ー美智子様の基調講演より一部抜粋ー
誰の心にも悲しみはあります。 年を重ねて高齢者の仲間入りをしている我々世代のものは悲しみの度合いが、より深く、そして広くなっていると思うのです。 口に出して言えることや、言える時があるかもしれない。しかし、何時でも全てを吐き出すことは難しく、まして解決できるものでない悲しみ。 それを抱えて、人生が続く限り悲しみに耐えていかなきゃならないのですよね。
互いに 思いやりつつ・・・が大事でしょうね。
そんな話を読んで、余韻が強く残っている今日の夕方でした。 連休ということもあって、なんとなくゆっくりした気分。
録画してあった映画「鉄道員」を二人で観ました。 ずっと以前に見た映画ですが、細かいところはすっかり記憶の彼方。
次々に起こる悲しい出来事がこの家族に追い打ちをかけて、家族がバラバラになってしまった・・・見ているのが辛くなりました。
クリスマスイブでことです。 臥せっていた主人「気分が良いから」と起きだしてくる。クリスマスの食卓に着こうとしたところへベルが鳴り、同僚がワイン片手に顔をのぞけます。「一人じゃないんだ」と、狭い家に入りきれないほどの懐かしい仲間達。飲んで歌って、心から打ち解け、その幸せな雰囲気が・・・見ている私の心にもどーーん! と伝わって、私の心も震えました。
若い時にも感じたかもしれないけれど、歳を重ねた今だからこそ、理解でき、共感できることってあるなあ~って。
谷川俊太郎さんが言ってました。
「高齢になると、知人の訃報に接することも増える。
若いころだったら、色々な思いもあるけれど、
自分もそう遠くない将来に。。。と思えば、
人生味わい深くなる。」っと。
今日は写真も入れないで、今の感動の冷めないうちにと、文字ばかりなってしましました。
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