シニアカレッジ

2013年10月16日 (水)

シニアカレッジ最終章

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この辺りでシニアカレッジ関連の記事を終りにしたいと思います。まだ触れていない講義が幾つかありますが長くなりましたので・・・

一つだけ・・・ちょっと面白いかな? と内心楽しみでもあったのが、久慈にある国家石油備蓄基地を訪ねるというものでした。

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校内のナナカマドが真っ赤な実をつけていました

この夏に読んだ百田尚樹「海賊と呼ばれた男」  この主人公が出光興産の創業者・出光佐三氏をモデルにしたもので、私は面白く読んだ本でした。それで石油備蓄基地ってどんなところだろう? ってね、興味を持っていたんです。

え~~・・・実際のところ、あまり面白いとは感じなかったですcoldsweats01

どんな感じで備蓄してあるのか、その辺りも「あの山の下・・」と指さして示す位の事でしたからねえ、、面白くはなかったですね。 唯、備蓄されている原油は劣化することは無いとか、備蓄された状態のもの(ここでの)は未だ日本に輸入したとはされない状態だとか・・・そんな話にチョッとへえ~~とか思いました。

130_1024x768卒業式の朝、校内で写したものですが

野ブドウの実も色付いてきています。

秋が深まる頃にはもっともっと綺麗な

紫系の色んな色になってまるで宝石のようになって目を楽しませてくれますよ!

PS. 日曜日の朝、「題名のない音楽会」って番組ご存知ですか?

私は大好きで、時間がある日には見ていますが、それのスポンサーが出光興産なんです。

そして、今日、検索をして初めて分かったことがありました。

番組の途中でコマーシャルが入らないのだそうです(気付いていなかった!)

これは元社長の出光佐三氏の「芸術に中断は無い」という考えに基づくためだそうですよ。

134_768x1024             これも校内にある ギンドロの大樹

   

2013年10月13日 (日)

高村光太郎作 【手】

016_600x800岩手大学のシニアカレッジ、今回で3回目の参加でしたが、今年初めて芸術関係の講義と実技(デッサン)があり、楽しみにしていました。

以前NHKテレビ≪日曜美術館≫で彫刻家・舟越保武氏の作品を見てとても感動しました。岩手が生んだ素晴らしい彫刻家のその作品は岩手県立美術館で見られます。 

岩手が誇れる芸術家だと思うのですが(他にも誇れる人は多いのでしょうが私が無知なので・・・)そう云う人の事もシニアカレッジで取り上げたらいいのになあ~と思っていました。

今回シニアカレッジで取り上げられたのは舟越保武氏ではなく、高村光太郎でしたけど、やっと芸術部門を取り上げてもらえたのが嬉しかったです。

上の写真が高村光太郎の作品「手」です。ちょうど大学のギャラリーで間もなく開催される【岩手大学・大学収蔵美術展】に向けて用意された本物です

クリアーケースに収まっているので、映りが悪いですが、このあと、教授が、何となんとこの作品を生で抱きかかえながら、教室へ持ってこられ、私たち生徒、作品を囲んでデッサンをしました。座る場所が先に決まっていたので、場所によっては描くのに難しかったのですが、幸い私の場所は良い場所でしたhappy01

  ↓左が私の席から見た「手」、そして右が私のデッサンですcoldsweats01

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先生が、しきりに「真っ黒になって良いのですよ!」と云われる声が耳に入って、本当に黒くなってしまいましたcoldsweats01

彫刻を真似て自分の手で形を作ってみたのですが、実際にこういう形にはなかなかならないのです。 これは祈りの時に手を合わせる・・・それを意識した形ではないかと話されました。(仏像の手の相の造形に関心を持っていた頃、自分の手をモデルに制作された)    

 木彫を思わせる台座との対比は西洋と東洋の技法を意図的に融合させている証とみていいだろう。との解説がありました。

高村光太郎、生誕130年にあたる今年は展覧会が数カ所で開催され、岡山

では井原市にある平櫛田中(でんちゅう)美術館で、丁度この期間、「手」をはじめ木彫なども展示されているとの事です。会期、残り少なくなっていますが行ってみたいものです。  

          以前に書いた記事より 舟越保武氏についてのブログ

2013年10月11日 (金)

学外授業は楽しみなおまけ付き

シニアカレッジでの学外授業、今回も楽しく有意義なものでした。

・・・が、授業だけじゃなくて・・・参加者が楽しみにしている事をお世話下さる方もよ~く心得ています。

068_1024x768それは、道の駅だとか産直市場とかに立ち寄ってくれること。

地元の珍しいものに出あえるだけでも嬉しく、楽しいhappy01

生ものなどは買えませんが、今回は岩手産のマツタケが安かったけど、これは買えませんねえ~

皆さん、ご家族や友人に多少はお土産も買わなきゃいけないし・・・

地元にお金を落とすことも大事なんですよね。 そういう意味合いもあって、何か所も道の駅に寄ってくれるのだろうと思います。

写真は、元小学校だったところと思います。その雰囲気を残した下駄箱があったり、流れている音楽も懐かしい唱歌でした。どんぐりを使ったパンやクッキーが珍しくて買いましたよ~。
オプショナルツアーの日にはワインシャトーにも寄ったので、ワインの試飲をしたり、ワインソフトを食べたりしたんですよ。

2013年10月10日 (木)

話しは直接聞くにかぎります!

099_1024x768 大学を飛び出しての学外授業。 山地酪農のお話もダイレクトに伝わってくるものが大きかった。

 私の見ていなかった「あまちゃん」できっとお馴染みでしょうか?   三陸鉄道。

シニアカレッジの為の臨時列車が出たんです。

北リアス線の田野畑駅から久慈駅まで乗車させてもらい、列車の中で

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社長さんから震災時から、現在に至るまでの経過等を伺いました。

   写真1枚目 ・・・工事中の三陸鉄道

   2枚目は工事の方達の朝礼みたいです。

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 乗せて頂いた車両はこたつ列車でした。勿論この時期にこたつは入ってないけど、足を下ろせるのでラクチンでしたよ。1両5万円で貸し出すそうです。

三陸鉄道の路線の一部にJRの区間があって、JRさんは修理する気が無いような? ? ?とかで・・・

JRが走らないと、三陸鉄道も北と南が繋がらないshock

以前、乗客の主なかどうかは?だけど、沢山乗ってくれていた学生さんの数が減った。 加えて、震災の復興の為に復興道路ができると列車利用からマイカーでの移動に変わる人が多くなった。

  辛い事情ですね~~  でも決してそう云うことには負けないぞ! という決意が全面にあらわれていましたよ!  

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震災からの復興は・・・瓦礫とかは綺麗に片付いていたり、積み上げられていたりで、広~い空き地があちらにもこちらにも・・・って感じです。

高台への移転場所も造成が進んでいるようで、あそこがそうね! っと、目に見えるものの実際には持ち主が不明、故人の名義のまま、遠くに住んでいる・・・そんな事情が多くて難しい面が多いそうです。
                 

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田野畑村で、海岸の直ぐ前に建つ村営の羅賀(らが)荘に1泊し、

とっても新鮮な海の幸のご馳走、お腹一杯いただきました。

水平線からの朝陽、ちょっと雲が多いものの何とかこんな感じに見えました。

前日の夕方、漁師さんがボランティアで津波の時のことを話して下さいました。

以前は住宅が何軒もあったのに今は広場のようになってしまっている場所に立ちながら、津波が来たときの様子を詳しく話して下さって、、、

夕闇がせまり、気温が下がってきたことなど忘れて一生懸命に伝えて下さる姿が頭から離れません。 

漁師のおかみさんが、ご主人に船を沖に出すよう説得し、そのお陰で船とご主人は助かったのに、残ったおかみさんは波にさらわれてしまったという悲しい話しも聞きました。助かった御主人の胸の内は如何ばかりかと、一生忘れられない悔いが残るのでしょうか? 

似たような経験をされた方は他にも大勢いらっしゃることでしょう。胸の内の大きなしこりはどうすれば癒されるのでしょう?  そういう辛い思いをしている方々を忘れてはいけないですね。

                 *コメント欄は閉じています

2013年10月 7日 (月)

大学を飛び出して・・ 山地酪農

今年のシニアカレッジでは大学の教室で受ける講義と同じくらいの比率か、若しくは少し多いかな? という感じで外に出ての勉強が多くありました。

全員が一泊二日で、まるで遠足? 修学旅行? みたいでしたよ!

その中の一つ  山地(やまち)酪農(田野畑にて)

 に取り組んで40年の吉塚公男氏のお話しがとても印象的。

074_800x600072_800x600076_800x600急斜面の山地を切り開き、そこに1m間隔でシバを植えつけ・・・

電気はおろか水も無い生活を実に10年やってきたというのだから、その苦労の程は計り知れない。

071_800x600昼食時に自社ブランド牛乳の

【田野畑山地酪農牛乳】をご馳走になったのだが、その牛乳の濃くて美味しい事!

しかし、吉塚氏は

自分達は美味しい牛乳を搾る為に山地酪農をやったわけではない。

ただただ、日本の優れた自然を生かし、山も牛も人も安心して過ごせる酪農スタイルとして確立したい一心で、やってきたと云うのが本当のところだ。」と言われる。 経済苦の窮地に立たされた時にテレビ岩手のディレクターがたまたま訪ねて来られ、応援して下さったから今があるのだと感謝されていました。

吉塚氏のお話で心にとまったこと、それは毎朝見るスズメ。チュッチュッチュと楽しそうに元気良くさえずりながらチョンチョンと飛び回っている。しかし次の瞬間、暴風雨にたたかれ落ちて死ぬものがある。自然に身を置くものは皆そうなんだ。そうした危うさの中で生きることは宿命でもある。人間も基本的には変わらない。自分達はこの地では他所者(出身は千葉県)で子供達は随分いじめにあった。いじめのような人為か、津波などの自然現象かの違いはあっても、常に壁を乗り越えて生きなければならない点では同じ。動物たちと違う点は目標に向かえることで、これは人間にしか出来ない事。願わくばその目標が「豊かさ」の一文字を加えて、世間や人様を意識したものであってほしい。

                        * 一部岩手日報の記事より抜粋

ホームページ や ブログ  も ご覧ください、理解が深まると思います。

ブログの9月24日付けには岩手大学シニアカレッジの集合写真も出ています。

今議論されているTPP、山地酪農では輸入の飼料は一切使わず、シバをはじめとして、自然に生えてくる豊富な草のみを食べさせているのでTPPは関係がない。ということでした。唯、まだまだ経済的には大変なんだろうなあ~と感じます。美味しい牛乳のお取り寄せ方法もHPに出ています。

2013年10月 3日 (木)

おもてなしを受けて・・

賢治さんがらみの記事の続きです。

  この日の昼食、事前の案内には

≪折壁(おりかべ)地区で地元の「おりかべソバ」を予定≫としか書かれていなかったので、てっきり何処かの食堂のようなところでお蕎麦を食べるのだろう。と、思っていた。 ところが直前になって分かったのだが、高齢化の進んだ集落の方達が村おこしの為にはじめた「そばうち」で、外の人達(私たちのことね)に食べてもらうようなものではないと、はじめは断られたのだそうで、そこを何とか・・・と多分無理をお願いしたのでしょう。  

それならと、皆が集まって何度か練習をされたそうです。

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064_640x480お蕎麦だけだと思っていました。ところが

部屋へ入ると目に飛び込んできたのがお煮しめをはじめお餅が二種類あったり、小鉢や漬け物、フルーツまである。氷水でしめたというお蕎麦が今まで食べた事のない美味しさで、一同感嘆の声を発したのです。

お蕎麦の次に、炊きこみご飯まで出てきて、もうお腹がはち切れんばかりの苦しさ。

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【おしながき】には地産地笑の折壁おもてなし料理 と書かれています。

上の文字ばかりの写真をクリックしてください。読めるでしょうか?

本当にこのお料理は真心こめて作っていただいた おもてなし料理だとつくづくそう感じました。 まるで遠いところから久しぶりに帰って来る息子や娘を迎える親の愛情一杯のお料理のようでした。  私たちの人数より多くの人達で、きっと何日も前から準備して下さったのでしょうね。お別れの時には双方ともに、胸にこみ上げてくる感情がありました。  いちばん最後の文章をお読みください。この地方の言葉のままに書かれた文章が一層心をあったかくしてくれます。

蕎麦切りは手間がかかるのでお祝いなどハレの日に食べたそうです。

感謝しきれないほどの真心を頂きました。 ありがとうございました。

2013年9月30日 (月)

注文の多い料理店

前回のブログの続き・・・

 早池峰山の登山口と云った辺りへ連れて行ってもらい、実際に宮沢賢治が歩いたであろう場所に立ちながらお話しを伺った。 

賢治が書いたお話の舞台は此処ではないか? と云えるほど、ほとんどが実在の場所を舞台にしているらしい。

 早池峰のこの辺りには金山が、規模は小さく量は少ないながらも質の高いものがでてくる。そういう所が割に数多くあったそうだ。鉱石学者でもあった賢治だから、そう云う場所にもよく足を運んでいたらしい。

 話しは変わるが【注文の多い料理店】はご存知の方も多いことと思う。

 私、あれを読んだ時に不思議なお話で、こんな話をよく思いつくなあ~と、そんな気持ちになったことを覚えているが、 今回その話のきっかけと云うか、下敷きと云うか・・・そんな話を聞いたので、ここで紹介したいが、その前に少し説明を。

 ある場所でバスを降りるなり「この辺りをぐる~と見まわして、なにか感じませんか?」と案内の浅沼氏が問いかけた。 ・・・いや~人家など全く見えない、緑に囲まれた場所。突然の問いかけに誰も、どう答えたらよいものか、声を出す人がいなくて、浅沼氏がさらに続ける。055_800x600

   「鳥居がみえますねぇ」 

 なるほど、云われてみれば、ある ある。

 丸太を組み合わせただけのような作りで、周りの緑にすっかり溶け込んでいる。

 

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「小さいと思いませんか?」

一々云われないと感じない鈍さに我ながら呆れてしまうが、本当に低くて、少し身長のある人なら頭をかがめないとぶつけそう。 

ここで案内の浅沼氏が話したことに一同驚くwobbly

この猫底というこの辺りに住んでいた人達は身長は低いが、がっしりした体格の人達で・・・○○族と云われ・・・

    ・・・えっ! ええ~っ! ・・・058_800x600_2

 

それで、鳥居も低く作られているのだ!

これはブログに書いてしまってもいいのだろうか?

と不安を覚えながら書いている。

なんとか族と云うところだけは、せめて、ぼやかしておこう。この人達の事を○○族と云われたが。

鳥居をくぐって段々を登ると、簡素なつくりの小さな神社がある。神社の横手をまわると少し開けた場所に出る。人家が数棟、肩を寄せるように並んでいる。

○○族という人達は金坑で働くには都合がよい体形で、ゴールドラッシュに沸く時代にはこの人達のような労働者とともに、芸者をはじめ遊ぶ場所も沢山あり、決して広いとは思えないこの場所に千人もの人が居たという。

1日の労働が終わると、その日の給金を手に呑んだり遊んだり・・・

1枚脱がされ・・・2枚・・3枚と・・・

朝が来て家に帰る頃には丸裸にされている。

 そういう人達の様子を賢治のメガネを通すと【注文の多い料理店】という一風変わったお話しに出来あがったということらしい。 

    う~~ん! 賢治はなかなか手強いなあ~happy01

 

注文の多い料理店の内容についてはここに記しませんが、舞台裏の話を聞くと再度読んでみようと思う方もいらっしゃるかもしれませんね?

私は、お話しの最後ってどうだったっけ? と記憶が飛んでいたので、幸い手元に絵本があったし、読みなおしてみました。

この日は丁度、賢治の命日で、賢治祭というものが花巻で毎年開催される日です。賢治に熱い思いを持った多くの方々が集まって、献花をしたり、雨にも負けずの詩を朗読したり・・・賢治フアンが熱を上げるのでしょう。

しかし、浅沼氏のお話によれば、花巻時代の賢治に対しては誰一人として暖かい目で見るものは無く、石を投げんばかりの扱いであったそうです。

そして賢治も、花巻の事は何も書いていない。 と云う事でした。

時代が変わると、こんなに賢治、賢治と云ってもてはやされている。皮肉なものですね。

 

2013年9月29日 (日)

目からウロコがポロポロと・・

岩手大学のシニアカレッジ、今年は30名の参加、実に25名がリピーターだったので右を向いても左を向いても懐かしい顔。北海道から大分まで、日本全国からの参加と云っても良いだろう。

今回は朝ドラの【あまちゃん】の話があちらでも、こちらでも引き合いに出されたが、生憎私は見てなかった。 「見ていない人もこんなにいるんですね~」などと、関係者は驚いていたが、皆がみんな見ていると考える方がおかしいと云うものじゃない?

毎年のことながら、入学式に続き達増県知事の講和、次に学長の講義、オリエンテーションとあり、おでんせパーティーがあってこの日は終了。

シニアカレッジ担当者が1年かけて興味深いプログラムを用意してある。

それら全てを紹介出来ればいいが、とてもそれほどの理解力も、記憶力も持ち合わせがないので、アトランダムに幾つかを・・・私の受け取った範囲で書いてみたい。

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開校4日目(いきなり飛ぶが)は任意参加制のオプショナルツアー。

コースは3つあり、あらかじめ申し込み済み。私が選んだのはコースⅢ、賢治の原風景とおりかべ蕎麦ツアー。このコースの参加者は7名、12人乗りの車でまわったのだが、車で連れて行ってもらうと地理的な事が良く解らないのが欠点sad

 039_800x600・・が、花巻に近い方向に早池峰山(1917米)があり、この山の登山口辺りを案内してもらったのだと思う。

←の建物『早池峰と賢治の展示館』の館長、浅沼氏が1日中案内してくださった。

先ず建物内での説明で、

「風の又三郎には二種類ありますね!」  に一同ぽか~ん

「あれ~ ご存じない?」  ・・・ ぽか~ん が続く。

028_800x600右の原稿の題字が読めるだろうか?

「風野又三郎」

 ・・・の、が漢字の野となっている。

これは賢治が初めに(若い頃)書いたもので、一般的に私などが知っている「の」を使っている方は亡くなる数年前に書かれたものだという。

内容も違っていて、はじめの方は、又三郎が教室に入って来るなり、自分から名乗っているが、後の方ではそうではない

こんな説明をうけ、目からウロコ・・・だった。033_768x1024

2階に上がって行くと、そこには賢治の定宿、石川旅館の一室が再現展示されている。

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ここで驚いたのは大正7年当時使われていたそのものが展示されていること。浅沼さんが手にして帽子の女性が見せてもらっているのは鏡台のカバーで、とても良い感じの本絹。  *写真の上でクリックすれば大きくなります。説明文もお読みくだされば良く解ると思います。
           ****************     

浅沼さんが「是非写真に撮ってください」と云われたのが↓。

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      クリックしてお読みください。

初めて耳にする ダルトン・プラン教育について書かれている。

この辺りは大迫(おおはざま)地区なのだが、この教育理念が大正11年に日本に伝えられるや否や翌年には大迫小学校で実践を始めたという。

ごくごく かいつまんで云えば、個々の能力に応じた教育方法らしい。

   ・・・これを読むと私の母校は大正10年に創立されたが、この教育理念に相通じる教育がなされたのではないか?  今頃になって、そんな事を感じ、不思議な感覚に包まれた。 またこれは私の想像であるが、窓際のトットちゃんでお馴染みの黒柳徹子さんが通った【ともえ学園】の教育理念も、ダルトン・プラン教育に通じるものではなかったのか?  そう思えて仕方がない。

今、私はこの言葉に出あったばかりであるが、心に留め置いて理解を深められればと思っている。 

    浅沼さんは、早池峰山や賢治について隅から隅まで知りつくしているようで、お話しに興味のつきることがないのだが、賢治の作品だって幾らも読んでいない私にはまだまだついていけない部分が多くて残念。 一体、岩手の人達は小さい頃からこんな風に賢治の作品を読んだり聞いたりして育っているのかと、思い入れの大きさ、違いを実感する。

      次回は、「注文の多い料理店」について書くつもり。

2012年10月26日 (金)

被災地の今 ・ 陸前高田辺り

あれから早、1カ月となりました。

被災地の様子が、頭から離れないまま・・・なかなかブログにまとめられなくて、

気持ちがズンズン重くおもくなってしまいました。

陸前高田は海から山までが遠くて逃げ場がない!

町が一瞬で消えてしまったかのように、草の生えた平地が続いていました。

   ・・・言葉を失いました・・・

幾つか残っている公共の建物には赤い×印がやたらと目に付きます。

これは、この中に遺体があるから捜索時に十分気をつけるように! という印だったそうです。                               

そして、捜索終了の張り紙。         

だけどもう、立ち入りは禁止。  

あとは取り壊しを待っている状態なのでしょうか?

色鮮やかな千羽鶴がかえって悲しみを誘いました。

奇跡の1本松も見る予定でしたが、シニアカレッジの始まる幾日か前にとうとう切り倒されて、保存のための手立てをするために運ばれました。

1億5千万円もかかると報道されていました。そこまでしてでも残す意味があるのだろうかと、

自分の胸の内で疑問符が付いたのでしたが、

説明をしてくださった、松のプロジェクト関係の方(?)も、

「一体何が良かったのか、悪かったのか・・・色々な考え方がある」と云うようなことを

おっしゃっていました。

「そのままにしておくのが良いという考えもある」みたいなことを。

松の子孫が育ってきていることは明るいニュースと聞こえました。

リースにしようと、松傘を集めてた人がいたんだそうです。

それから、普門寺にも連れていっていただきました。

ここには身元不明の遺骨が安置されていました。

名前も何もなく・・ただ数字が書いてあるだけ。

発見された時と場所を示す数字だそうです。

DNA鑑定もままならない・・・そりゃそうですね~

お身内があるかどうかさえ分からない。 

たまたまこの辺りに来ていて犠牲になった方かもしれないし。

胸の潰れるような光景がたくさんありました。

私の目にできたのは被災地のほんの一部分だけだったのに。

 *今回もデジブックにしました。

  胸の痛む写真が多くありますが、見て頂けると嬉しいです。

被災地関係のことはこれで終わりにしたいと思います。

どうかいつまでも心を寄せていてほしいと願っています。