書籍・雑誌

2015年11月 4日 (水)

沢村貞子さんのエッセー

Img003_443x640ボランティアに行っている、岡山済生会病院の新館が1月1日にオープンします。それに伴って、私達の活動の場も新館へ移ります。

新しい場所は、一体どれほどのスペースなのか?

今までと同じような活動が可能なのかどうか?

どなたに伺ってみても・・・

霞みに包まれたような返事が返るばかりです。

引越しの用意を!

荷物を少なく!  と、こんな声ばかりが聞こえますが・・・ 今ひとつ実感が伴いません。

そんな中、患者さんやご家族の方が自由に過ごせるデイルームの本棚から、引越しを機会に「処分するので欲しい方はどうぞ!」と段ボールに3杯程の本が集められていました。

その中から3冊ほど頂いて帰り、このところベッドに入ってから毎夜、数ページずつ読んでいるのが 沢村貞子さんの「寄り添って老後」です。

昨夜「人づきあいそれぞれ」というのを読みながら、私もそんなところがある!と同感したのです。

沢村さんはご近所さんの玄関ベルを押すのは、ご家族におめでたか、ご不孝のあったときに限って。

ゴミ出しで顔を合わせた時も、二言三言、ご挨拶をかわすだけで長話はしなかった。

時々は我ながら、ちょっと気になるほど、素っ気ないこともあった。   

そういう付き合いの悪さは、家事と仕事に追われているためもあったが、生れ育った浅草の路地の付き合い方が身にしみついていたせいとも言える。

下町の人間は情に厚いというのはその通りだが、ただ、むやみに他人の暮らしに踏み込まないように・・・子供の時からやかましく仕込まれた。

小学生の時、家の前を掃いていると、近所のおばさんがおめかしをして通りかかったので、「おばさん、おでかけ?どちらへ?」と言うと、びっくりしたように私を見て「え? ああ、ちょっとね」と言いながら行ってしまったそうである。それを母に話すと・・・叱られた。

「誰が何処へ行こうと余計なお世話だよ、人には聞かれて困ることだってあるんだからね」 そういうときは、

「おでかけですか、行ってらっしゃい」 そう言って気持ち良く見送るだけでいい。  そう教えられたのだそうです。

小学生の頃から、こんな風に躾けられて・・・昔のちゃんとしたお家ではどこもこうだったのでしょうか?  

私が同感するのは、躾けのことではありません。私の場合は 人様との会話が下手であるがゆえに・・・もう一言、突っ込んで尋ねることができない・・・結果、素っ気ない会話になってしまう点です。 だから・・・友達が少ないのも自分で頷けるのですが、、、今更、この性格は変わらないでしょうねえ~ 

沢村さんは 仲間同士の深い付き合いを避けたのだから、生意気な女優、冷たい女・・・と眉をひそめられても、仕方がない、とあきらめた。 と書いている。

我が夫婦も、正に今、寄り添って老後の日々です。

なかなか難しくもあり、楽しくも、めんどくさくもあり・・・ 

試行錯誤のような日々が流れていきます。

2014年1月26日 (日)

読書・・・新美南吉 その2

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「狐」のお話しの続きです。

もしも文六が狐になってしまったら、もう家に置いとくわけにはいかない。とお母さんにいわれた文六です・・・

「そしたらどこへ行く?」

「からすね山の方には狐が居るからそっちへ行くさ」

文六は父母のことも気になります。父母はどうするかって・・・お母さんはこう云いました。

「かあいい文六が狐になってしまったら、この世に楽しみが無くなってしまうから人間を辞めて狐になることにきめますよ」

「2人で晩げに新しい下駄を買ってきて、一緒に狐になって、文六ちゃんの狐を連れて一緒に山へゆきましょう」

「からすね山に猟師はいない?」

「鉄砲撃ちかい?  いるかも知れんね」

「猟師が撃ってきたら、母ちゃんどうしよう?」

「深い洞穴に入って小さくなっていればみつからないよ」

「餌をひろいに出たとき犬にみつかったらどうしよう」

          中略

父ちゃん母ちゃんが両方から手をひっぱって逃げても、犬がすぐうしろにきたらどうする? と訊かれ、お母さんはちょっとだまって・・・

それから、ゆっくり言いました。しんから真面目な声です。

「そしたら、母ちゃんは、びっこをひいてゆっくりいきましょう」

「犬は母ちゃんにかみつくでしょう、そのうちに猟師がきて、母ちゃんをしばってゆくでしょう。そのあいだに、坊やとお父ちゃんは逃げてしまうのだよ」

     ・・・

    ・・・ 

「いやだったら、母ちゃん。母ちゃんがいなくなるじゃないか」

「でもそうするよりしようがないよ、母ちゃんは、びっこをひきひきゆっくりゆっくり・・・」

お母さんの胸にしがみついた文六、涙がどっと流れてきました。

お母さんも、ねまきのそででこっそり目のふちをふきました。

                            おしまい

      ~~~~~~~~~~~~~~

あらすじを記しましたが、ここには書けなかった情景描写がとても素晴らしくて、まるでその様子が目に見えるようです。

新美南吉の名前が私の頭にインプットされたのは、そんなに昔じゃなくて、

美智子皇后さまが子供の頃に読まれて印象に残っているお話しとして、

話しをされたなかに新美南吉の「でんでんむしの かなしみ」があったと記憶しています。この本にそれが載っていました。

30歳を目前にして逝去したそうですが、なんて心の優しい青年だったことかと、幾つかのお話しを読んだだけですが・・・そのどれもに、優しさと、悲しみが溢れているとかんじました。

2014年1月25日 (土)

読書・・・新美南吉

恥かしいことに、私はあまり本を読まない。 

言い訳をするならスピードが恐ろしく遅いものだから、

文庫本1冊にもやたらと日数がかかるのです。

小学校の頃は(随分昔のことで御免なさい)少年少女文学全集とか云う本が家にあって、1日ごろごろと寝転がりながら1冊読み終えていたと思うのに。

いつから読めなくなったんだろう? 

結婚してから暫らくのあいだ、本を買うということができなかった。

夫の僅かな給料(私は働きに出なかった)の中で本を買うことを躊躇した。

その内、子供もでき、家事が忙しくなり、

昼間から読書をすることがはばかられた。  

本屋さんに行くのは大好きなのです。

子供の頃、夕方の散歩と云えば

家族そろって本屋さんまで行ってくることをさしていました。

今も、これといって目的がなくても本屋さんは好きです。

岡山の丸善が昨年末だったか改装されて、

雰囲気ががらっと変わりました。 

平積みのスペースが狭くなり、天井まで届くような書架が威圧感甚だしく立ちふさがっています。

私はこの雰囲気にまだ慣れていません。

何が何処にあるのかも分からない中で

キョロキョロ歩いていて、目に飛び込んできたのは

「宮沢賢治の童話集」と「新美南吉の童話集」でした。

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今日、病院へ行くことになっていました。

初めての病院で、整形外科です。

昨日、その病院へ電話して予約は出来ないのかとたずねました。

「予約はできない」「人気の先生なので患者さんが多い」と教えられ、

待ち時間に読もうと持って行ったのが新美南吉の童話集。

とても読みやすいのですが、私は頭の中で声をだして読んでいるから

やはりゆっくりです。

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この童話集の中の最初は「ごん狐」

次は「手袋を買いに」です。

この2篇はよく知っているのでとばし・・・

次の「狐」というのから読みはじめました。

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七人の子供(年齢のちがう子供達)が月夜に歩いて行きます。

笛の音に誘われ足がはやくなるのですが、文六ちゃんと云う子供が遅れてしまいます。

「文六ちゃん 早くこい」と呼ばれました。

「んでもおれ、おっ母ちゃんの下駄だもん」と 速くは歩けません。

町には入ると、下駄屋さんがあり、そこで文六の下駄を買っていると、

腰のまがったおばあさんが店に入って来て、ふとこんなことをいうのでした。

「やれやれ、どこの子だか知らんが、晩げに新しい下駄をおろすと狐がつくというだに」

子供達はびっくりし、その顔には心配な色がただよっています。

下駄屋のおばさんが 「ようし、そいじゃまじないしてやろう」といって、

マッチをする真似をして、文六の新しい下駄のうらに、ちょっとさわりました。

             中略

お祭りの出し物をたのしみました。昼間みれば何でもないものが、提灯の光の中ではなんと不気味なことでしょう。

・・・子供達はおもいだしました。

晩げに新しい下駄をおろすものは狐につかれる・・・・

帰り道も月夜でした。一人の子が、もう一人の子の耳にささやきます。

次の子へ、また 次の子へと・・・文六以外の子たちへ伝わりました。

「下駄屋のおばさんは、ほんとうにマッチをすっておまじないをしやしんだった。真似ごとをしただけだった。」

・・・狐につかれるとはどういうことかしらん。・・・

文六が「コン」と咳をしました。

この咳には特別の意味があるのではないか? よく考えてみるとそれは咳ではなく、狐の鳴き声のようでした。

文六ちゃんは狐になってしまったと子供達はおもいました。

文六は他のみんながそんなことを思っていることをちゃんと知っていました。

家のそばまで帰り、木戸をあけて中には入りながら、

 ・・・ひょっとすると、自分は本当に狐につかれているかもしれない、という心配を感じます。

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お母さんと一緒に寝ながらお祭りのようすをきかれたのですが、祭りの話はすぐやめて、気になっていることをお母さんに問いました。

「夜、新しい下駄おろすと、狐につかれる?」

「嘘だよ、昔の人がそんなことをいっただけだよ」

「もしほんとだったらどうする?」「ぼくが狐になっちゃったらどうする?」

「そうしたらもう家に置くわけにゃいかないね」

   ・・・次から次へと問答がつづきます・・・・

             * あと少しつづきますpaper

2012年4月18日 (水)

桜の季節に思いだされる歌

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日本人はどうして、こんなにも桜が好きなのでしょう?

韓国の人も桜のお花見をすると、ラジオで伝えていましたが

他所の国では、桜でなくても、日本人がこぞってお花見をするように

何かの花を愛でる習慣ってあるのでしょうか?

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↑の写真は’10年の写真です(今年は桜の良い写真が撮れていないので)

この時期になると心にふわっと思い起こす歌があります。

西行さんの詠んだ歌

   ねがわくは花の下にて春死なん

        そのきさらぎのもち月の頃

 

叶うものなら、私もこういう死に方をしたいと、ある種あこがれを感じる歌でした。

この歌について山折哲雄さん(数ヶ月前に読んだ本から引用します)は次の様に書いています。

かの有名な歌でありますが、旧暦二月の桜の季節、満月の夜に死にたいと詠んで、その言葉どおりに二月十六日に亡くなっています。

これはけっして偶然ではなく西行は人知れず断食行を実践したのであろうと私は考えています。

西行は諸国を遍歴して歩いており、足腰を鍛えていた人です。日常的な断食修行も当然していた。二日断食をすると自分の体がどうなる、三日やるとどうなる、五日やるとどうなるか、わかっていたと思うのです。そこから、いつから正規の断食を始めればいつごろ死期が訪れるかというようなことを、かなり的確に計算できていたにちがいない。

もともと真言密教の僧侶です。空海が晩年、食を断って入定したこともよく承知していたはずで、そのひそみに倣ったともいえます。

旧暦二月十五日は釈迦が入滅した日です。西行はその涅槃の日を目標としていた。けれども、お釈迦さまと同じ日というのはいかがなものかと考えて、一日ずらしたのではないでしょうか。

そこまで計算しつくされた往生だったのではないかと私は推測しています。

          中略

自分で死を選ぶというのは自殺行為ではないのかと判断するのは、きわめて現代的な考え方です。死にたがっているわけではない。

いよいよのときというのを、自分で決定したいという、死に対する覚悟の姿勢だったとみるべきではないでしょうか。

周りの人にそれが伝わってしまうようだと、看取っている側がつらい。周囲の人にはそれと感じさせないように、自然なかたちで死にゆくようにするところが肝心なのではないか。それが私の理想とする臨終の作法です。

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「始末」ということというこの本は昨年の3.11の後に書かれたものです。

西行さんの歌にいたる前に、次の様な文もあります。

いよいよ死期が近づいてきたなということを自分で意識することができる状態になったとしたら、そのときはできれば食事を少しずつ減らして、最後は断食のようなかたちでそのときを迎えたいと考えるようになったのです。

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本来、人間は病気になると食欲が落ち、食べられなくなるものです。ですから昔は病気をして体が弱っていくことで、自然に食を細くし、最後は断食的状況のなかで死を迎えました。老衰というのもそうだったのではないでしょうか。

ところが、いまは病院で管を通して栄養補給をされる。自力でものが食べられなくなっても、やれ点滴だ、胃ろうだ、腸ろうだとさまざまな方法で生かされる措置が取られます。

不必要に栄養剤などを投与せずに、あるがままにしておけば、からだは枯れ木のようになり、陶然たる眠りのなかでいのちの終りを迎えるはずなのです。

私が理想とするのは、やはり西行の死です。 ここで最初に繋がります。

  以上、山折哲雄さんの本より

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満開の桜も見事なら、はらはらと散る桜、桜吹雪の見事な様も大好きな民族だと思います。

そこに命の儚さ、潔さを感じるのでしょうね。

2011年8月19日 (金)

内田百閒・・・ノラや

ノラや  内田百閒著 を長く長くかかって、やっと読み終えた(文庫本)

Img003_640x453 私が住む岡山市の東部を流れる百間川のことは、私のブログにも度々ご登場願っているので、インプットして下さった方もあろうかと思うのですが、

その百間川の名を貰って百閒(ひゃっけん)としたといえば、

岡山の出身であることは直ぐわかるはず。

身近な存在の小説家であるはずなのに、今まで百閒の本を読んだことがなかった。

夫が買ってきて、短時間で読み終え、

「あっという間に読めるぞ~」

「猫が居なくなったというて、毎日泣くばかりして、可笑しい。。。」と云っていました。

どれどれ・・・

なるほど~ いつの間にか上がり込んで、居座った猫の「ノラ」

この猫が、ある雨の日に出て行ったきり帰ってこなくなったのです。

ノラを思う百閒の気持ちの揺れる様は尋常ではありません!

だらしなく、すぐ泣いてしまうし、仕事も手に着かないばかりか食欲も失せ

ノラが大好きだった出前の寿司は、ノラを思うあまり、もう食べられない!

たずね猫・・・云い方が違っているかナ?・・・のビラを貼り、

効果が出ないので遂に、新聞に折り込み広告をいれる。。。それも何度も!

これって、やはり尋常じゃないですよね~

でも、そんな事が可能だった百閒さんは幸せ者とも言えるのかな?

それほどまでに手を尽くしても。。。

ノラは遂に帰ってはこなかったの。 

やがて、ノラにそっくりの野良猫が家に居つくようになったけれど

百閒さんは、やはりノラを忘れることはなかったんです。

        *

本のはじめの部分では、ノラがお腹を空かしているのじゃないかとか

帰り道が分からなくなってしまったのか? そんな事を考えては

毎日、泣き暮らす百閒さんに少々嫌気がさしてきた。

でも、大の猫好きの私。

猫のしぐさ、泣き方の描写されている個所を読めば

手に取るように感覚が蘇って。。。

今は猫を飼っていないだけに、可愛さが思い出され懐かしさに溢れるのです。

手の肉球の柔らかさ、

夢でも見ているのか・・・ピクピクッ と寝ながらも動いたり。。。

あ~あ~ 猫、飼いたいなあ~

でも今はダメダメ、もっと年を重ねて外へ遊びに出られなくなったら

その時は・・・猫、飼いたい! 後は隣りの息子達に頼んで。。。

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上の写真は河原で拾ってきた小石に、我が家で飼っていた猫を描いたものです。

其々に、沢山の思い出を残してくれた猫です。

2010年12月10日 (金)

また・・佐野洋子さん

佐野洋子さんが亡くなられて早くも1カ月余りが経ちました。

         11月5日、乳がんのため72歳でお亡くなりになりました。

1977年に出版されて以来99刷を重ね、178万部のロングセラーとなったとは、

彼女の亡くなった後に新聞で知ったことですが・・・

そのロングセラーとなった絵本とは、勿論

「100万回生きたねこ」  です。

そして私は 佐野洋子さんの本では、

恥ずかしいけれど、この絵本しか知らなかったのです。

でも、11月も下旬だったでしょうか?

丸善で、ど~んと平積みしてある彼女の本が目に入りました。

追悼 佐野洋子さん ・・・と書いた帯がかかっています。

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この1冊を買ってきました。

読みました!

お母様と長女、洋子さんとの確執が

飾らないストレートな言葉で書かれています。

4歳の頃、つなごうとした手をふりはらわれた時から、母と私のきつい関係がはじまった。

終戦後、五人の子を抱えて中国から引き揚げ、その後三人の子を亡くした母。

父の死後、女手一つで家を建て、子供を大学までやったたくましい母。それでも私は母が嫌いだった。やがて老いた母に呆けのきざしが・・・・。

母を愛せなかった自責、母を見捨てた罪悪感、そして訪れたゆるしを見つめる物語。

                          裏表紙に書かれたことばより

初めて本をひらいて・・・声をだして読み始めたのです。

私、読みながら泣き、涙声のまま笑いもしました。

お母さんを見捨てたというのは、施設へ入れたからなんですが、

そこでの母さんは呆けが進み、彼女が見舞った今日は

入れ歯を失くした口だけをもぐもぐしながら眠っているだけ。

・・・・こんなところが書きはじめの部分です・・・

帰った方がいいかと思ったが、母さんのベッドにもぐり込んだ。

そして思いだしたんです。 洋子さんは

私は母さんがこんなに呆けてしまうまで、手にさわった事がない。

四歳位の時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、

チッと舌打ちして私の手をふりはらった。

私はその時、二度と手をつながないと決心した。

その時から私と母さんのきつい関係が始まった。

でも今は(母さんが呆けてから)母さんのベッドにもぐり込んで並んで寝ることも

手をさわることもできるのです。

 これが、ほとんど狂暴とさえ云えるふり払い方をした手か。

太かった腕も棒のようで棒に皮がひっついていて、それも皮というよりしわで、しわにくっついて青い静脈が走っていた。 

かわいそうな母さん。

涙がたれて来た。そして思い出した。

彼女、洋子さんは、家に帰る車の中で泣き、ベッドにもぐり込んで泣いていたけれど、

泣きながらサクラさんに電話をする。

「あんたどーしたの」

「今母さんのとこからかえって来たんだけどー、私ひどいことしたんだよー」

「何よ」

「母さん嘘つきだったの」

「どんな」

「あのね、サッチーみたいに学歴詐称したの」

「アハハそんなのどうってことないことじゃない」

「でも私やだったんだよ、ずっと。口すぼめてさ、府立第二でございますって、本当は私立の女学校なの。云ってもはずかしい学校じゃないのに。そんで、住んでるところも、本当は牛込柳町なのに、初めは牛込ですってだけ云って、どんどんエスカレートして、次は四谷でございますで、終りのころは麹町ですになったのヨウ」

「アハハ・・・・」

「そんで子供の時、母さん嘘ついたって云ったら、この子は嫌な子だ、嘘も方便ってことなぜわかんないのって、ひっぱたかれたんだよ」

「フーン・・・」

「父さんにそっくりだって」

洋子さんはお父さんっ子だったのですね!

でもその父さんは、洋子さんが19歳のときに50歳で亡くなったのね。

家の写真帳に、モダンガールの母さんの写真が何枚もあった。

もうセピア色に変わっている時の流れが大正ロマンの色である。

間違いなく母さんはモガであった。・・・・・

・・・・子供の頃化粧する母が面白くてたまんなかった。

最後に口紅をつけて口をむすんで「ムッパッ」とすると別人の母が仕上がるのだ。・・・・

子供に対しても妥協をしなかった、とてもきびしいお母さんだったようです。

そして、「ありがとう」も「ごめんなさい」も決して口にしなかった母さんが・・・

呆けはじめて・・・施設に入って・・・

その後は職員さんたちに「ありがとう」「ありがとう」。。。。って

この言葉は生れ出る時に一生に使う分を袋につめて持っていて、

それをこの時に使っているのだと思えた。。。そんなように書いてあります。

凄い。。。すご~い。。。母と娘の関係でした。

でも何故か読み終わったときに、

爽やか・・・っていうのかな~

私なんかよりずっとずっと、、、

母子の関係が濃密だったんじゃないの? って感じたのはなぜでしょう?

佐野洋子さんの次の本を買ってきて読み始めています。

ちょっと、はまった感じ??

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        緩和ケア病棟もクリスマスの飾りつけになりました。

2010年8月 8日 (日)

山折哲雄さんの本

今朝は久しぶりに、涼しい! ・・・忘れかけていた感覚! 

昨日の立秋をこの瞬間に実感した心地happy01

お盆を前にして、今日はその準備をするための貴重な一日。

早朝に先ずお墓掃除をしてきました。

姑が亡くなった時に新しく求めた墓地で、車で5分かからないかな?

それまでの墓地は、距離は変わらないけれど、昔からの墓地で

山の墓地だから、水持参で、坂道を歩いて登らないといけなかったんです。

雨が降れば滑りそうだし、夏は蚊に悩まされ、蛇の恐怖におののき。。。

冬は落ち葉に埋もれてしまう・・・そんな墓地でした。

それに比べて、車ですぐ傍まで行け、水道はあるし。。。

とても便利な墓地になりました。   

ここなら一人でもお参りできる・・・私が後に残ると決めているかな?

    *       *

今朝、小さい本を読み終えました。

山折哲雄著  わたしが死について語るなら  ポプラ社

先日 NHKテレビのクローズアップ現代に出られている山折さんを、番組の終わりころに見たのです。

今年になってから、山折さんのお名前が私の頭の隅っこで、チョッと気になっています。

哲学者となっていました。  哲学ってどういうものなのか。。。

とに角、私の頭では理解できない難しいもの。。。

と思って、避けて通ってきましたが。。。

先日のテレビの終了間際、ほんの短いお話しか聞けませんでしたけれど、

私、今(これから)許されるなら(状況が)こう云う勉強をしてみたい!

そう、思ったんです。

夫・すればええが~

私・どこで出来る?  一人で本を読んでっていうんじゃあ、無理だよ!

   どこか、セミナーみたいなので勉強するとかさぁ~

。。。その話はそこまででしたが

その後、丸善で、何か読む本~~ って見ていたら、たまたまこの本が目に入りました。

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持ち歩けるサイズなのが気に入りました。

帯にあるように、とても平易に書かれています。

購入してから分かった事ですが、児童向けに刊行された本を、内容はほとんどそのままに、年長者向けに編集し直した作品とありました。

そして、驚いたことに、全く予期していなかった岩手の事が書かれていました。

今月末から盛岡へ行くので、宮沢賢治や、遠野物語など、少し予習していたので、読み始めてすぐに宮沢賢治の名に出会ったことは驚きでした。

山折さんは戦争の時、花巻のお母様の実家(お寺)に疎開していたとか、

花巻は空襲に遭い賢治の生家が焼け落ちたこととか

賢治の「アメニモマケズ」に込めた死生観など、詳しく書かれていました。

それから私がホスピスでボランティアをするようになってから、

研修会などでよく耳にするエリザベス・キューブラー・ロス(スイス生れ)精神医学者

この人の事も書かれています。「死の瞬間」「続・死の瞬間」などが有名だそうです。

今、くわしく書く時間がないので、今日はここで一端おわりにします。

2010年2月27日 (土)

涙しまくり・・・「いいかげんがいい」

本を読み終えました。

    いいかげんがいい

              鎌田實著  集英社

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文庫本を少し縦長にしたサイズ。

パラパラと見たところ、短時間で読めそうなかんじです。

でも、読書スピードの恐ろしく遅い私は数日かかってしましました。

今日、夕方から夫は会合があって出かけたのを幸いと。。。

この本の、残りの部分を読み始めたのです。

朗読教室に通ったりしているので。。。

一人っきりになれた時間は、声をだして読めるチャンス!!

アナウンサーの方、俳優さん。。。のレベルには程遠いのですが・・・

気分はそんな感じで読み始めました(笑)

ところが、ところが。。。涙がうるうる。。。字がまともに見えなくなったり

喉にこみあげてくるものが、声をふさいでしまうのです!

これではアナウンサーや俳優さんの真似・・・失敗ですね!

沢山の付箋をつけたり、マーカーで色づけしたり。。。

人生のラストステージを考えさせられる内容です。

今夜、涙した部分を紹介しましょう!

 冬が終わるころの話だ。 70歳の男性が、緩和ケア病棟に入院してきた。

咽頭がんがあり、骨に転移していた。  かつての彼はワーカホリックで、仕事のことしか頭になかったという。 それが晩年、ひょんなことから山歩きを始め、山が好きになった。

東京と蓼科を行き来するうち山で暮らしたっくなり、白樺湖の奥に山荘を建て、大企業の役員を辞めた。

 年をとってからスキーに夢中になった。ゲレンデで滑っているうちに、若い仲間ができた。集まると、みんなで一緒に山の中を滑りまくった。

 がんとの闘いは、数年前から続いていた。がんが再発し、進行しているのも、医師からの説明で知っていた。しかし、彼は負けなかった。手術をし、放射線治療を受け、体調がよくなると、また仲間たちに支えられ大好きなスキーをやりつづけた。がんが骨に転移して、もう痛みをやわらげる以外治療のすべてがなくなり、ぼくらの病院にやってきた。

 病室に回診に行くと、ぼくがスキー好きなのを知って、いつもスキーのことを話しかけてきた。声帯を除去していてしゃべれないので、筆談である。

 昨年も、雪の上にシュプールを描いたという。もちろん、今シーズンはまだ滑っていない。

 信州の長い冬も終わりに近づいたある日、彼がメモ用紙にペンを走らせた。

〈 もういちど すべりたい 〉

痛いほどの願いが込められた10文字を見て、ぼくは約束せずにはいられなかった。

「4月の第1日曜日なら体があきます。スキー場までお連れしますよ。一緒に滑りましょう」

 諏訪中央病院の看護師に、偶然、彼のスキー仲間がいた。サポートしてほしいとお願いした。

 その看護師から、ほかのスキー仲間にも連絡がいった。10人の若い仲間たち。 みんなで準備を進めた。人生の最後になるかもしれないラストスキー。 もう一度、彼を滑らせてあげたいと、みんなが思った。

 ウェーデルンの激しいターンは無理だろうと、彼は承知していた。ゆっくりゆっくりパラレルで、もう一度だけ滑りたいと夢見ていた。

 しかし約束の日の1週間前、がんは脊髄に転移し、両下肢がまったく動かなくなった。

彼の夢だったスキーをすることはできなくなった。

 四月の第一日曜日、10人の若い仲間たちが病院へやってきた。それぞれが雪だるまを持って、やってきた。 彼の大好きな蓼科の雪でつくった雪だるまが10個、病室のベランダに並んだ。

 本当はゲレンデに立って、春山をパラレルで滑り降りたかった。どんなにか滑りたかっただろう。

 間に合わなくてごめん。心の中でつぶやいた。

 しかし今、彼と彼の仲間たちは、10個の雪だるまを見ながら、その向こうにそびえる信州の山並みを見上げている。11の心が一つになって、同じ風景を眺めている。

 もう筆談はできなくなっていたけれど、ぼくには彼が「満足だよ」と、みんなに語りかけているように思えた。

 春の訪れとともに、彼は逝った。

 若い仲間たちに見送られて。

  *

もう少し文中から引用したお話を書かせて下さい。

 watch with me 「私と同じ風景を見よう」 とは、もともとは新約聖書のマタイ伝に書かれたイエス・キリストの言葉だという。

 死を予期したイエスが弟子たちに、「ここを離れないで、私と一緒に目を覚ましていなさい」と語りかける。

 近代ホスピスの創設者であるシシリー・ソンダースは、そんなイエスの言葉にターミナルケア(終末期ケア)を行うホスピスの基本精神を託し、「困難の中を生きる人に寄り添おう」と呼びかけた。 

 緩和ケア病棟で死を間近にした人たちを診ていると、watch with me の大切さが、よくわかる。

  ***

 最近、友人のお一人が、がん治療(抗がん剤)を断って、緩和ケアにきりかえたと、電話で聞きました。 

とっさに何と言って差し上げたらよいのか?

「よく決心なさいましたね。。。」 と。。。言ったのですが。。

これで良かったのだろうか?  

年を重ねてくると、 色々な場面に遭遇する。

思いを深く・・・生きていかなければいけない。。。

2010年2月26日 (金)

千の風になって

「千の風になって」紙袋に書かれた詩

       井上文勝著   ポプラ社

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よみびと知らず・・・だけど、とても心に響く詩・・・と思ってきました。

それが偶然に目にした新聞で、原作者が判明! と知り、

原作者探しに乗り出した、日本の方(井上文勝さん)が本を出されているのを知って、

早速、読んだのです。

原作と、私たちに広まった詩とは多少違いがありました。

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オリジナル版と流布版をくらべてみて!

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  原作者 マリー・エリザベス・フライ

  1905.11月13日米・オハイオ州ディトン生れ

  2004.9月15日 98歳で他界

3歳で孤児になる。 

  12歳・メリーランド州ボルチモアに一人移る

    1929・黒い木曜日と後に呼ばれる大恐慌はじまり

    ボルチモアでも一夜にして全てを失った人たちの自殺・一家心中などが日常的な事件 となったが、一方で、恐ろしい現実から逃れてひとときの息抜きと夢を求める人々で、映画館の前には長い行列ができた。

    これを見たマリーは最も大きい映画館(ヒッポドローム劇場)の窓口の仕事を得た。

    ここで知り合ったクラウド・フライと結婚。リンダという娘に恵まれた

   ナチスの手を逃れてドイツからアメリカに一人やってきた、ユダヤ人少女マーガレットを自分たちが責任者となり、自宅に住まわせる。

   マーガレットがドイツに残してきた病身の母。その母の死を知ったマーガレット

 「せめて・・・ママのお墓の前に立って泣けたらって、最後のさよならを言えたらって、そう思ってしまったの。それができなかったことが、あたしにとっていちばんつらい」

 そのマーガレットの言葉を聞いたマリーの耳の奥から、かすかな声が湧きあがってきた。

 マーガレットの母の声か、自分の母の声か・・・濡れたまぶたを閉じ、うつむいてその声にじっと聞き入った。やがてさだかでないその繰りかえしがはっきりとした言葉となって語りかけてきた。

 「・・・私のお墓の前にたたずみ泣かないで・・・」

うなずいて目を開けると、引き寄せた買い物の紙袋を破り取り、紙片にその声を書きつけはじめた。

 こうして出来たのが千の風になって。。。だったのですね~~

人々の胸をうつ、この詩は人から人へと。。。広がっていったことが

この本には書かれています。

人々の追悼の場で・・・

戦争に出てゆく若者は、僕が死んだらこれを読んでくださいと書き残して・・・

そして私たちの記憶から消えないのは。。。あの!

2001・9・11 ワールドトレードセンターに突入するジェット旅客機。

その翌年の同日、グラウンド・ゼロに集まった追悼者を前に、11歳の黒人少女が

「千の風」を朗読したそうです(私もそうだったと、耳にしていました)

私の知らなかったところでは

1985年8月、日本航空機墜落事故で亡くなった歌手・坂本九さんの葬儀委員長をつとめていた永六輔氏は、この詩を葬儀のなかで読み上げたそうです

これがきっかけで、1995年南風椎(はえしい)氏訳による『1000の風―あとに残された人へ』というタイトルの単行本で紹介され、さらに新井満氏による「千の風になって」という題の自由訳歌曲になる。歌手・秋川雅史氏に歌われて一気に日本中に広がった。

2008年11月 8日 (土)

読書の秋

○○の秋、△△の秋、□□の秋etc....

秋は沢山の顔を持っていますよね~~

その中でも、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋などは耳にすることが多いように感じます。  

 読書の秋 と云うのはどうでしょうか?  昔は同じような頻度で使っていたと思いますけれど。。。  そう云えば最近はあまり耳にしなくなったかな?

 テレビ(録画)で 【私の1冊、日本の100冊】 という番組の冒頭部分を少しだけ見ました。

20代の若者にインタビューしていましたが、「読書は小6の時が最後」「中2から読んでいない」と応えた女性2人。  「高校の教科書で読んだのが最後」 と云う男性26歳。。。など、全く読まない人が多いのには驚きました。

そういう私も、本は読みたいと常日頃思っているのに、中々読めない。 時間がない。すぐ眠くなる。目がショボショボして疲れる。。。 coldsweats01               今手元で進行中の本は随分前に友人から借りている本 【米原万理著 真夜中の太陽】 。これがやっと終わりに近づいた。  数日前に読んだところが 「黄金小径」 だ。 

やあ~shine 今年5月行きましたよ! shine  チョット本から抜粋しますね。

四年ぶりにチェコを訪れ、ゆるやかに蛇行するヴルタヴァ河の畔にたたずむ絶世の美女といった趣のプラハの街を散策。その美女を見下ろすフラッチャニー城にも登る。 城郭の片隅に、「黄金小径」と呼ばれる名所がある。宮殿の華麗な大広間やゴシックの代表建築とされる大聖堂を見た後に、ここにやってくると、小人の国に紛れ込んだかのような錯覚を覚える。日本のマンションより低いと思われる天井高の玩具のような色とりどりの家がひしめき合って並んでいるからだ。扉は腰をかがめなくては入れないような低さ。家の一つは、作家のカフカが仕事場に使っていたとかで、いつ訪れても、観光客が列なしている。  この一角に「黄金小径」という名が付いたのは、その昔、城主に雇われた錬金術師たちが住み着いていたからだ。

     その「黄金小径」に並んでいる小さな店で買いました。

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旅行の楽しみは行く前の準備段階。そして勿論旅行中。それから、帰ってからテレビにそこが写っていた時や、今回のように何かで出会った時。 こんな時がとても嬉しい! 何でもない事が宝物のように思えますね heart04

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