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2012年10月

2012年10月26日 (金)

被災地の今 ・ 陸前高田辺り

あれから早、1カ月となりました。

被災地の様子が、頭から離れないまま・・・なかなかブログにまとめられなくて、

気持ちがズンズン重くおもくなってしまいました。

陸前高田は海から山までが遠くて逃げ場がない!

町が一瞬で消えてしまったかのように、草の生えた平地が続いていました。

   ・・・言葉を失いました・・・

幾つか残っている公共の建物には赤い×印がやたらと目に付きます。

これは、この中に遺体があるから捜索時に十分気をつけるように! という印だったそうです。                               

そして、捜索終了の張り紙。         

だけどもう、立ち入りは禁止。  

あとは取り壊しを待っている状態なのでしょうか?

色鮮やかな千羽鶴がかえって悲しみを誘いました。

奇跡の1本松も見る予定でしたが、シニアカレッジの始まる幾日か前にとうとう切り倒されて、保存のための手立てをするために運ばれました。

1億5千万円もかかると報道されていました。そこまでしてでも残す意味があるのだろうかと、

自分の胸の内で疑問符が付いたのでしたが、

説明をしてくださった、松のプロジェクト関係の方(?)も、

「一体何が良かったのか、悪かったのか・・・色々な考え方がある」と云うようなことを

おっしゃっていました。

「そのままにしておくのが良いという考えもある」みたいなことを。

松の子孫が育ってきていることは明るいニュースと聞こえました。

リースにしようと、松傘を集めてた人がいたんだそうです。

それから、普門寺にも連れていっていただきました。

ここには身元不明の遺骨が安置されていました。

名前も何もなく・・ただ数字が書いてあるだけ。

発見された時と場所を示す数字だそうです。

DNA鑑定もままならない・・・そりゃそうですね~

お身内があるかどうかさえ分からない。 

たまたまこの辺りに来ていて犠牲になった方かもしれないし。

胸の潰れるような光景がたくさんありました。

私の目にできたのは被災地のほんの一部分だけだったのに。

 *今回もデジブックにしました。

  胸の痛む写真が多くありますが、見て頂けると嬉しいです。

被災地関係のことはこれで終わりにしたいと思います。

どうかいつまでも心を寄せていてほしいと願っています。

2012年10月19日 (金)

父の命日

10月19日は父の命日。

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明治の最後の年(丸まる1年あった年)に生れ、

昭和の最後の年(↑に同じく)に亡くなりました。

早いものでもう25年にもなることが信じられない思いです。

何年経っても・・・自分が父の亡くなった年齢にぐっと近づいても

私の中ではいつまでも、大きな存在の父に変わりはないのです。

私にとって、元気な頃の父はあまりに存在が大きすぎて、

口をきくというか、おしゃべりのような話しはほとんどする事がありませんでした。

恐い?  ・・・いいえ、そんなことは無かったのに

大きすぎた! という云い方が一番適切かな?

仕事でいつも忙しそうでした。  夜中も、盆、正月もなくて・・・

でも仕事の隙間、個人にもどったときの父のあれこれが

今とても懐かしく思うのです。

今日は父のお墓参りに行ってきました。

お墓は岡山にあります。 岡山が大好きな父でした。

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        今日、鉢植えの紫陽花がとてもきれいな事に気付きました。

2012年10月14日 (日)

休日の静かな時間

003_800x600_2行楽シーズン真っただ中

どこか出掛けたいなあ~~ car

出来れば山の空気を吸いに行きたい!!

大山?  否 蒜山でもいい!

でも紅葉には未だ早そうだし・・・

蕎麦の花はもう終わったようだし・・・

夫はなかなか起きてこないし・・・

・・・いつもの平凡な朝のパターンにはまり込んでしまった。

       「畑へ行こうか?」    

畑へ行くと、遅れている間引きが待っている。

   人参の間引き1列と、小蕪の間引き1/4列

     あ~ぁ  腰が痛いなあ~  

水遣りと、収穫 ・・・・ 茄子、春菊、ニラ

   畑仕事はこれで終わりにして、

家に帰ると10時   そうだ、お茶の時間だわ!

  夫は要らないというので

珍しく紅茶を淹れようか?  

  そうだ、ロイヤルミルクティーにしょう!

それじゃあ、庭でのお茶タイムにしよう!

休日には周りをあまり気にしないでいいから・・・

          cafe

ということで、一人の静かなティータイムと相成りましたhappy01

お茶を飲みながらボランティアの連絡をしたり、004_800x600

新聞を隅から隅までじっくり読んだり、    

あっという間にお昼になってしまいましたcoldsweats01

一面に咲く蕎麦の花畑はチャンスを逃してしまったけれど、我が家の植えっぱなしの蕎麦、

   今、満開なんです。 写真 ⇒

  心待ちにしていた サクラタデ が やっと花を咲かせました。  

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今年はこのサクラタデ、随分傷んで、

花が見られるかどうか気をもみましたが

  やっと・・・ 

でも随分遅いように思いますけど?

カメラを変えてから、

   マクロが上手く撮れませんsweat02

  5×8,5cmと、小型なので

   持ち歩くには便利です。

 

2012年10月 1日 (月)

父の法事

私がこれから書こうとしていることは全く個人的な日記だと思っていただきたい。

複数の方の目にふれるブログの記事としてはふさわしくない内容になりそうだが、他に日記を書かないものだから、この場所に書こうとおもう。

昨日は私の父が亡くなって25年目の法事だったが、前日からの情報によれば、台風がまともに来そうで、そうなればJRを利用しても瀬戸大橋線はストップする可能性が高い。

行けない確率が非常に高くなり、お寺さんがお好きな岡山銘菓だけは宅急便で前日に発送しておいた。

ところが大型台風はどうしたわけか、岡山では台風の気配はなく、天気予報も少しずつ変化をあらわしてきたので、ぎりぎりの時間迄迷ったあげく、行く ことを決め、電車を利用して、無事に出席でき、本当によかった。 

兄夫婦にその子供家族、姉の所は3人、私達夫婦、全部で14人が集まった。

25回目ということで、父の葬儀をしたお寺で法要を済ませ、会食は近くのお料理屋さんへ。

脈絡ないおしゃべりの中に、父の思い出が織り込まれた。

姉、兄、私の3人兄弟は中学から家を離れて、寮に入ったり、下宿をしたりの学生生活が長かったので、両親の下で一緒に暮らした時期が短く、思い出も違っている。

私の知らないというか、記憶にない父の姿を見るように感じることもあった。

私の印象に強く残っている父の姿を話した。

父と病院の職員数名と共に、私も一緒に 石鎚山への登山をしたことがある。

  (その頃の父は外科医であると同時に数名の医者と共同で始めた病院の院長を務めていた)

石鎚山は晴れていれば実家から見える身近な山で、途中まではロープーウェイで行ける。

それから少し歩けば成就社で、ここの山小屋に1泊。

私達一行を迎えてくれた山小屋の男性(年配の人だったような記憶)が、父に向かって両の手を合わせて下さった。その事が私の強い印象となって忘れられない。

後できいた(たぶん母から)ところによれば、その方のお孫さんが大火傷をおい、危なかったのが父の治療で助かったということらしかった。

医者というのは、人命を助けることを仕事としているのだから他にも似たような話はあったのだろうが、子供の私が直接見たり聞いたりすることって他にあまりなかったのだと思う。

この話をしたら、後を継いでいる兄がいうには、手を合わせて下さった方の子供さんか、お孫さんかどうかは はっきりしないものの、

大火傷を負いながら助かった(植皮(皮膚移植)もしたそうだが)男の子は後に医者となり

現在は私の実家のある地で働いているという。

父はその事を知っていたのだろうか? その子が医者という職業を選んだことを。 

寡黙な父だったからどんな喜び様をしたのだろうか? と想像をしてみるが良く解らない。

医者としてはとても嬉しい話に違いない。  

父が亡くなった後で、父に恩を感じている方が何人かお参りに来て下さったことも聞いた。

身内のこんな話をブログに書くべきではないと思いながら、それでもそんな父を誇りに思えた昨日の法事だったので、ここに記しておきたかった。

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帰りの電車からは瀬戸内の島々を夕陽が照らす良い天気となっていたが、

岡山駅の放送では、台風の為東京行きの新幹線が運転を見合わせているとアナウンスが流れており、今日の不思議な天候を思い合わせると、よく無事に行って来れたと感謝の思いが湧きあがって来た。

これも父が導いてくれたことのように感じながら、満たされた思いに包まれている。

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