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2012年7月

2012年7月20日 (金)

京の夏の旅

7月18、19日  京都の旅をしてきた。 

一般に公開されていない場所がこの時期、特別公開されている。

そこを巡るツアーに参加した。 山口、広島や富山から、、、18名の参加。

最初が高雄での昼食、川床料理。 川床料理は初めてだったから興味があった。

先日の大雨で目の前の崖が崩れ落ちていた。

食事の後は神護寺へ。

大覚寺、霊宝館~上賀茂社家・梅辻家住宅と廻って1日目が終了。

ツアーには夕食が付いてない。 京都駅近くのホテルだったから、駅ビルの中で食事をした。

暮れゆく空、刻々と変化する。 それを眺めるのが楽しかった。

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私のカメラと腕では、この美しさを十分に表せないが、

暮れはじめの淡い茜色と すき通ったブルーが私は大好き!

夕焼け色が次第に濃さを増してゆく。

食事の美味しさと、接待の感じの良さ、そしてこの天体ショー。。。

1日の疲れが癒され、幸せ感に包まれた。

           ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜sun

2日目の観光 

  下鴨神社、 国宝の本殿を間近から拝観

  ~ 妙心寺、塔頭 退蔵院、建物内部とお庭拝観

  ~ 清水寺 成就院

  ~ 伏見稲荷大社 荷田春満旧宅・お茶屋

           。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

写真はほとんど撮らなかった。 

撮影禁止ばかりだったし・・・元気もなかったdown

     あ つ い sign03 sweat01sweat01sweat01 

熱中症にならないようにと 一番気を遣った!

汗かきだからか、 何となく むか~~ と感が数度襲ってきた!

早めに薬も服用した。

帰り、夫との会話 「夏の旅はもう止めようね!」

      diamond

重要文化財 と云われる建物にはエアコンが入れられない!

住宅街にある駐車場では、全員が乗りこまないとバスの冷房を入れてはいけない。という

規則があるそうだsweat01 

      規則ねぇ~~  

36度という暑い日、もう少し何とかならんもんかいなあ~~?

              sun

cafe 清水寺 成就院を見学した後、1時間程の自由時間があって、清水の大舞台の方や滝のお水をいただきに行くという選択もできたけれど、

私たちは、この暑さの中それはパス。

坂を下りながら2,3のお店を覗いただけで、

 何処かで コーヒーなど のみたいな~~

3年坂を少し下ってみたら、そこに イノダコーヒー屋さん、みーつけた!

同じツアーの方が一人、先に座ってた。 お一人参加の方

隣りのテーブルに座って、お話を・・・ 

 数年前にご主人を亡くされたそうで、これからどう生きていこうか? と思ったそうです。

尾瀬へ一人で行ったときに、

幾つかの上り下りをした後に目の前がパ~っと開けて(私は尾瀬には行ったことが無いので想像するしかない)その先に燧岳(だったかな?)があって、、、

その光景を目にした時に・・・あぁ~ 私は生きていける! ・・・と感じたって!

大自然があたえてくれた、すごい力だった! って言いました。

 

  私、彼女のこのお話を聞かせてもらえただけで、この旅行に参加してよかった!

私より5歳位は若そうな この人が力強く生きている姿を想像することで、力を貰えるような気がしたのです。   

暑い! 暑いの連発だった2日間だったけど、大きな貰いものをした旅だった。 

2012年7月12日 (木)

こんなところにネジバナが・・・

001_480x640_2一週間ほど前、ウォーキングしていて、住宅街の一画に

売れ残ったのか、家が建たないで草地になったところの

草の中に うっすらとピンク色のものが見え、ちょっと後戻りして近づいて見た

 あ~ぁ~ heart04

  ネジバナ

私の心が、瞬時に学生時代に巻き戻され、懐かしさで溢れた。

広い芝生の管理を任されていた学年の時だ。 芝生の中に生えた草取りをしたり、芝刈りをしたりと 汗を流したのだったが、このネジバナも生えていて、草として抜いていたのだった。

あれから長い年月が経ち、今の私の生活圏では見ることの無くなったネジバナ。

ときおり、誰かのブログで出会うことはあったのだが、

こんなに可愛い花を、草として抜き捨てていたなんて! と

      ・・・・・あの時はそうするしかなかったのだろうが・・・

私の心の中にしまいこまれていたネジバナがこの空き地にたくさん生え、

(写真は後日、写しに行った)今また、こうして再会でき、幸せ色が私の中で広がっている。

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右巻、左巻、 巻きの強いもの弱いものなど変化がみられるのも面白い。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。. book  .。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

先月末の姪の結婚式で讃美歌を歌った。よく知っている讃美歌だと思ったが、歌詞が一部違っていた。

先週のマリンバコンサートで、この讃美歌と同じメロディーの曲の演奏があった。

又別の日、雷のひどかった日に、(広島交響楽団を指揮された 下野竜也さんのお話にあった)

 雷鳴(遠雷)の素晴らしさを  ロッシーニの≪ウィリアム・テル序曲≫ 、手持ちのCDで

聴きなおすべく 流していて、

その曲はいつの間にか終り、次々と曲が流れるままになっていた。

私の耳は、すでにCDから離れていたのだが、突然 引き戻されたsign01

それが何故だったのか、直ぐには理解できないほど一瞬のできごと。

一瞬後、解った。

讃美歌のメロディーだと!

♪ 主よ~ み手もて ひかせたまえ、ただわが主の 道をあゆまん・・・♪

             讃美歌285番

ウェーバーの≪魔弾の射手、序曲≫の始まりに使われていたのだ。

この時、つくづく思ったものだが、私という人間形成の根幹が学生時代にあったことを。

不平も不満も沢山抱えていたのだが、こうした今があることを思えば

感謝以外にないように感じる。

 

讃美歌続きでもう一つ・・・

 学生時代をずっと寮で暮らした。学期の終了式の日、寮では

一目散に一時も早く、我が家へ帰ろうと逸る気持ち(私)で皆で歌う賛美歌があった。

かみともにいまして ゆく道をまもり、

あめの御糧もて ちからをあたえませ

また会う日まで、また会う日まで、

かみのまもり 汝(な)が身を 離れざれ   

 讃美歌405番

この讃美歌とつい最近、偶然出会った。

それは今読んでいる本

〈突然の死〉と グリーフケア A・デーケン,柳田邦男 編

  この本の中でであった。  この本は阪神大震災の後に出版されたもので、色々な方が書かれているが、下の文はA・デーケン氏のもの

抜粋  遠藤さんが(遠藤周作)亡くなる少し前に、私とも共通の友人の一人が見舞いに行きました。その時、病室で遠藤さんははっきりこう言ったそうです。「この世で会うのは今日が最後でしょう。次は天国ですね」と。

それから彼は「一緒に 〈また会う日まで〉 を歌いましょう」と言って、

二人で賛美歌の 〈また会う日まで〉 を歌って、しっかり握手を交わして別れたそうです。

それから、ほどなく遠藤さんは亡くなられたのですが、この再会への希望を確認することが、キリスト教徒にとっての大きなエネルギー源なのだと、私はいつも感じています。

 

 この讃美歌を、この世での別れの時(生きている時)にこうして歌う。。。

クリスチャンだから出来た行為なのだろうが、

思い浮かべただけでも、その時の寂しさではない、喜びと言ってもいいような雰囲気が感じられる。

再会への希望!  どんなに力を与えてくれるものであろうかと、クリスチャンの方が羨ましく思えた一文だった。

  その思いは、次へもう少しだけ書きたいと思っている

2012年7月 9日 (月)

手直しした洋服

先日のブログ(3つ前の記事)で、姪の結婚式に着る服を自分で手直し・・・と書いたところ、どんな感じだったのか・・・ 見たかった・・? とのコメントをいただいて、

それをそのまま受けるのが私の馬鹿なところなんですが、

チョコッと載せておきますね

手直しする前を撮ってないのですが ↓ の黒線と思って下さい 

                  クリックで大きくなります

Img002_640x494赤線部分が手直しした箇所です。

Img001_640x444写真がフラッシュ撮影になり、色が不自然ですdown

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014_287x640_5016_280x640_2実際の色は、もっと柔らかいかんじです。

スカートは前からみれば

少しだけ広がったかんじで、

後ろにはタックを入れたので

中央部分にボリュームがあります。

    hairsalon

裁縫らしい縫物をするのは何年ぶりでしょう?

娘が大学生のころに、少しスカートを縫ってやりましたが、着たかどうか・・・??でした。

 

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2012年7月 2日 (月)

姪の結婚で 

昨日まで少し忙しくしていました。    

056_800x60030日の土曜日に姪の結婚式が博多でありました。

着物を着ない私は、何を着て出席するかということが、頭を悩ませ・・・

30数年前に友人の結婚式で、たった一度だけ着たツーピース・・・

これを何とか手直しして・・・?

      hairsalon

スカート部分を大幅に手を入れました。

幸いなことに、ロングスカートだったので

助かりました。(ウエスト寸法が大幅に変化しているんですsweat01

上着のほうはテーラーカラ―だった襟をスタンドカラーに直しました。

全体にラメが入っていて、今回が袖を通す最後のチャンスかも?

そんな事を考えると、時間をかけて丁寧にというより、何とか

数時間をそれなりに過ごせればいいか!  そんな気持ちで自分で直しました。

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大学の同級生どうしの結婚、そして大学のある地なので友人も多く盛大な披露宴でした。

麻酔科の医師として歩み始めたばかりの彼女。

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旦那様とは専門が違い、

親御さんとも、専門違いの道を選んだ二人。

互いに専門は違っても同じ医師として、これから歩む道は

決して楽ではないでしょうが、自分達の選んだ仕事、伴侶、

どうか挫けることなく希望の光に向かって進んで欲しい。

周りを明るく照らす存在であってほしいと願われました。

私の兄弟3夫婦、義姉の兄弟3人もそろったのは久しぶり

披露宴後の数時間をホテルの部屋で遅くまでおしゃべりし、

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翌、日曜日も大宰府や国立博物館などを一緒に巡り、

身内の居心地の良さみたいなものを感じた2日間。

私の小さな疑問が一つ解けたのです。

おりしも67年前の、6月29日は岡山市内が空襲で焼け野原になった日です。

その時、私たちの祖母は一人岡山市内に住んでいて、空襲に遭いました。

それを機に、四国に住んでいた私たちの元へ越してくることになったのですが・・・

          (私はまだ生れていなかったのですけれど)

戦後生れの私なのに、何故か、祖母の荷物がたくさん届いた日のことを

微かに覚えています。   あれはいつのことだったのか?

その疑問が姉の記憶で、解けました。

祖母は間も無く同居するようになったが、長もちなどの荷物が届いたのは

数年後だったことが。  

幼い頃のことを ふっと思い出すことがありますが、一人であれは何だったんだろう? と

よく分からない。あるいは自分ではこうだった と思っても、果たして本当にそうだったのかどうかさえ今となってはなかなか確かめることも出来ないまま

076_600x800どんどん時間だけが流れてしまいます。

そんな時 同じ時間を過ごした姉、兄と再び合って話が出来る幸せを噛みしめた時間でした。

博多は、私にはほとんど未知の土地でしたが、新幹線で約2時間と意外と近いです。

姪っ子のお陰でこの街が少し身近になりました。

家族の輪が広がったことを嬉しく感じた時でした。

7月1日から、博多の飾り山笠が駅前にもお目見えしていました。

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