セミナー その2
(前回の続きです)
今 いのちを考える 3.11大震災の後で
第2部はノンフィクション作家・評論家の柳田邦男氏の講演
先ず、あの大震災の様子を改めて見ることから入りました。
大津波直後の様子をスライドで紹介
①名取市、岩沼市を襲う大津波 1時間10分後
松林をなぎ倒して波が入って来る
②南三陸町 約50分後
③陸前高田
④田老町 頑丈な防波堤が壊されている
これはジェット機が600km位でやって来るに等しい力
(通常ジェット機は800kmほど)
次に 数字をあげて説明
関連死された人の数 ・・・ 1年間で2,000人ほど
(このような大災害の時、直接の死亡者数だけを見ていたのでは駄目)
放射能汚染のこと
桃の栽培農家が多い地区では、何年か先に残留放射能が少なくなった時に美味しい桃を出荷出来るようにと、現在は出荷できない桃を敢えて栽培している。
数年先には老木となってしまう木は、伐採がすすんでいる。
南相馬市では世帯数が増えてきている(核家族化が進んだ)
出生率が下がってきている
以上のような事は 安全神話の崩壊 を意味しています
巨大災害と人間ということを考えると、
被災した人達には重いトラウマが残る
周りの人達の気遣いのある声かけが大切。
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
意味のある偶然 (河合隼雄氏のことば)
第1部での話し・・・
● 村上さんが死のうと思った時に、何年も前に見たテレビを思い出し、
長野県にある無言館へ行かなくては! と思ったことのように、
説明がつかないが、必要なことに偶然 出会うことがある。
●ご自分のことにふれて
19年前、亡くなった息子の遺体を家に連れて帰った時、
長男がテレビのスイッチを入れた。 するとタルコフスキーの遺作となった
映画 「サクリファイス」(犠牲)がちょうど終わりかけていて
・・・ マタイ受難曲の有名なアリアが流れてきた・・・
バッハの「マタイ受難曲」第47曲のアリア「憐れみ給え、我が神よ」
・・・これは亡くなった息子が私の買ったレコードLP版を自分の物にして好んでくり返し聴いていた曲だった。
こういう偶然を意味のある偶然 と河合氏は名付けている
意味のある偶然は、電撃ショックみたいなものを与えてくれ、
沈んで行く気持ちに力を与えてくれる。
● 絶望 という言葉がある。
絶の字は断ち切ると云う意味をもち、望みを断ち切るとなる。
一方、字源を引くと解るが、
この上ない、という意味もある。
絶望は未来に望みを断ち切ってしまうが、
全く違った、転機(気付き)を与えてくれるものでもある。
● 幾つかの俳句を紹介された
春光の泥 ことごとく 死者の声 高野ムツオ
車にも 仰臥という死 春の月 高野ムツオ
泣きながら 吸う 避難所の シジミ汁 柏原眠雨
私はネット社会は、深い感情の育みができないから、決して肯定していない。
・・・ が、
和合良一という福島の詩人がツイッターで詩を発信しはじめたら
どんどん感想が寄せられ、2カ月目には
「 詩の黙礼 」という本を出すまでになった。
ネット社会にも良い点はあるな~ と感じる出来ごとだ。
・・・・・・・・・ 講演の1/3 か 1/4 くらいしか書けていませんが
一度にはまとめられないので 次回にまわします ・・・・・
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こんばんは
生と死を考えるセミナー、
とても重たいセミナーに感じられますが、いつかは向き合わなければならない問題ですよね。
とも子さんの前向きな姿勢に敬服です。
前の前のブログのチェコへの旅の、デじブックため息をつきながら拝見しました。
とても見ごたえがあり、ました。チェコに言った気分になりました。
投稿: さっこ | 2012年6月20日 (水) 23時30分
台風の被害はなかったですか? 岡山は雨が強く降ったものの、他には大して何もなかったように思います。
生と死、この問題は今、生きている人全員の問題でもありますから、あまり深刻に考えない・・・でもいつも頭にある。 っというところでしょうか。
身の回りの整理をしなきゃ! という強迫じみた感じがいつもあるけど、実行できないのが困ったものです
チェコのデジブック、写真が多すぎたかもしれません

行った気分になって下さったのなら、良かったです
投稿: tomoko | 2012年6月21日 (木) 18時46分
意義深いセミナーでしたね。
実は私もずっ~とまえに、同じような講演を
聞きました。お名前は忘れてしまいましたが
外国の方でどこかの大学で教鞭をとっておられる方でした。
《生きるということは死への準備期間である》
そんな講演内容でした。
今を生きることの、大切さを教えられました。
誰もが必ず直面する問題ですから、逃げずに向き合うことも
大切でしょうね。
投稿: おばさん | 2012年6月21日 (木) 20時14分
死は必ず、誰の上にもやってくる事実ですが、何となくまだ先のことだと思っている人がほとんどでしょうね。
しかし、いつやってきても、慌てふためかないような準備、心づもりができていたら
どんなに真摯に受け止められることかと。。。
私の場合、今もって、死とはいったい何なのか?
よく分からないのです
投稿: tomoko | 2012年6月21日 (木) 21時42分