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2010年12月10日 (金)

また・・佐野洋子さん

佐野洋子さんが亡くなられて早くも1カ月余りが経ちました。

         11月5日、乳がんのため72歳でお亡くなりになりました。

1977年に出版されて以来99刷を重ね、178万部のロングセラーとなったとは、

彼女の亡くなった後に新聞で知ったことですが・・・

そのロングセラーとなった絵本とは、勿論

「100万回生きたねこ」  です。

そして私は 佐野洋子さんの本では、

恥ずかしいけれど、この絵本しか知らなかったのです。

でも、11月も下旬だったでしょうか?

丸善で、ど~んと平積みしてある彼女の本が目に入りました。

追悼 佐野洋子さん ・・・と書いた帯がかかっています。

Img_7402

この1冊を買ってきました。

読みました!

お母様と長女、洋子さんとの確執が

飾らないストレートな言葉で書かれています。

4歳の頃、つなごうとした手をふりはらわれた時から、母と私のきつい関係がはじまった。

終戦後、五人の子を抱えて中国から引き揚げ、その後三人の子を亡くした母。

父の死後、女手一つで家を建て、子供を大学までやったたくましい母。それでも私は母が嫌いだった。やがて老いた母に呆けのきざしが・・・・。

母を愛せなかった自責、母を見捨てた罪悪感、そして訪れたゆるしを見つめる物語。

                          裏表紙に書かれたことばより

初めて本をひらいて・・・声をだして読み始めたのです。

私、読みながら泣き、涙声のまま笑いもしました。

お母さんを見捨てたというのは、施設へ入れたからなんですが、

そこでの母さんは呆けが進み、彼女が見舞った今日は

入れ歯を失くした口だけをもぐもぐしながら眠っているだけ。

・・・・こんなところが書きはじめの部分です・・・

帰った方がいいかと思ったが、母さんのベッドにもぐり込んだ。

そして思いだしたんです。 洋子さんは

私は母さんがこんなに呆けてしまうまで、手にさわった事がない。

四歳位の時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、

チッと舌打ちして私の手をふりはらった。

私はその時、二度と手をつながないと決心した。

その時から私と母さんのきつい関係が始まった。

でも今は(母さんが呆けてから)母さんのベッドにもぐり込んで並んで寝ることも

手をさわることもできるのです。

 これが、ほとんど狂暴とさえ云えるふり払い方をした手か。

太かった腕も棒のようで棒に皮がひっついていて、それも皮というよりしわで、しわにくっついて青い静脈が走っていた。 

かわいそうな母さん。

涙がたれて来た。そして思い出した。

彼女、洋子さんは、家に帰る車の中で泣き、ベッドにもぐり込んで泣いていたけれど、

泣きながらサクラさんに電話をする。

「あんたどーしたの」

「今母さんのとこからかえって来たんだけどー、私ひどいことしたんだよー」

「何よ」

「母さん嘘つきだったの」

「どんな」

「あのね、サッチーみたいに学歴詐称したの」

「アハハそんなのどうってことないことじゃない」

「でも私やだったんだよ、ずっと。口すぼめてさ、府立第二でございますって、本当は私立の女学校なの。云ってもはずかしい学校じゃないのに。そんで、住んでるところも、本当は牛込柳町なのに、初めは牛込ですってだけ云って、どんどんエスカレートして、次は四谷でございますで、終りのころは麹町ですになったのヨウ」

「アハハ・・・・」

「そんで子供の時、母さん嘘ついたって云ったら、この子は嫌な子だ、嘘も方便ってことなぜわかんないのって、ひっぱたかれたんだよ」

「フーン・・・」

「父さんにそっくりだって」

洋子さんはお父さんっ子だったのですね!

でもその父さんは、洋子さんが19歳のときに50歳で亡くなったのね。

家の写真帳に、モダンガールの母さんの写真が何枚もあった。

もうセピア色に変わっている時の流れが大正ロマンの色である。

間違いなく母さんはモガであった。・・・・・

・・・・子供の頃化粧する母が面白くてたまんなかった。

最後に口紅をつけて口をむすんで「ムッパッ」とすると別人の母が仕上がるのだ。・・・・

子供に対しても妥協をしなかった、とてもきびしいお母さんだったようです。

そして、「ありがとう」も「ごめんなさい」も決して口にしなかった母さんが・・・

呆けはじめて・・・施設に入って・・・

その後は職員さんたちに「ありがとう」「ありがとう」。。。。って

この言葉は生れ出る時に一生に使う分を袋につめて持っていて、

それをこの時に使っているのだと思えた。。。そんなように書いてあります。

凄い。。。すご~い。。。母と娘の関係でした。

でも何故か読み終わったときに、

爽やか・・・っていうのかな~

私なんかよりずっとずっと、、、

母子の関係が濃密だったんじゃないの? って感じたのはなぜでしょう?

佐野洋子さんの次の本を買ってきて読み始めています。

ちょっと、はまった感じ??

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        緩和ケア病棟もクリスマスの飾りつけになりました。

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コメント

母と娘の壮絶な生き方・・確執
でも本当はどこの親子より近い存在
だったのではないでしょうか。
母親が呆けて初めて、握った手rock
このくだりは、泣けますねweep
『手紙・・・親愛なる子供たちへ』
この歌を聴いたとき、自分の愚かさに
泣きました。(かぁ様ごめんね)
そして今日もtomoko様のブログ読んで
涙しています。
本読んでみたくなりました。

こんばんは!
女手1つで、5人の子を高等工業や女学校に行かせた祖母の晩年を思い出しながら読ませていただきました。
90歳を過ぎて、骨折をして少し呆けが来ていました。
入院中、見舞いに行った私に、toyomiちゃんここへおいで~ここへ・・・と自分の隣を指します。
一緒に寝ました。
看護婦さんが「ま~おばあちゃんええな~」と

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