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2010年6月21日 (月)

講演会にいきました

6月21日

昨日、講演会へ行きました。

第20回 生と死を考えるセミナー

20周年記念セミナー  主催 岡山、生と死を考える会

最初に講演されたのは、「岡山生と死を考える会」の会長でもある

高木孝子さん・ノートルダム清心女子大学学長

    「かかわりの痛みと喜び」 と題して

   私はシスターというものについては全くの無知なので、説明したくても出来ないもどかしさを感じているのですが、清純さそのものといえる、白い洋服(パンプスまでが白)と頭には黒いかぶり物(何と呼べばいいのでしょう?)といったシスターの楚々としたお姿で出ていらっしゃいました。

以前にも一度だけお話を伺ったことがあって、その時にも感じた、言葉の美しさ。

これに再度、聞きほれながら。。。

余談ですけれど・・・というより、講演の中身については

私にはここに書くだけの理解力も、エネルギーも持ち合わせていないと感じているのです。

・・・それで本筋を離れた余談です・・・

高木さんの日本語の美しさ、これは一体どこからきているのかなぁ~

こんなことをおぼろげに、頭の一隅で考えている私がそこにいました。

育った環境?  成人していく中で意識して自分のものにした?

社会に出てからの環境、仕事上の立場がそうさせた?

もう一つ私が思うのは、早い時代に海外生活をしたことによって(数年間)、その間に日本国内で進んだ、いわゆる日本語の乱れ・・・これの洗礼を受けなくて済んだ?

これに当てはまる(と、私が感じる方は何人もいらっしゃいます)

高木さんの日本語の美しさについては、

次に登場された、大江健三郎氏も

「高木先生の、美しい言葉でのお話を舞台裏の、性能の良いスピーカーで聴いておりまして。。。」と 開口一番におっしゃいました。

それに比べてと云うと、大変失礼ではあるのですが、

私が心配していたのは

果たして、大江健三郎氏のお話が上手く聴きとれるだろうか?

テレビでは、口をもごもごするようなお話のしかたと

独特のイントネーション(?)・・・同じ四国は愛媛出身なのに!

それがあったから、  前よりの席に座ったんです。

でも、これについては、ほとんど問題なくて。。。

あ~~ 良かった(笑)

あ!  肝心な 演題ですね!  大江氏の・・・

     「注意深くあること」 

その前に「言葉について」と付けたい、とおっしゃいました。だから

「言葉について、注意深くあること」という意味でのお話です。

3年ほど前にも、同じ今日の会から、講演依頼があったのだそうです。

でも、その時には自分は「生と死」について語る資格がないと思えたので断りました。

で、今回の依頼を1年半ほど前にきいて、その時にはもののはずみで、情熱的になって、

「行きたい」と思ったそうです。

唯、演題がなんだったのか、決まっていた。

そこで奥様に相談したら、

「断るか、演題を変更させてもらえないか、問うてみれば?」と言われた。

演題は変えてもらって結構です。と云ってもらったので引き受けたということです。

大江氏の様な方でも、奥様にこういう相談をされるんだ~(笑)

  大江氏が高校3年の時に出会って以来、一番の親友でもあり、尊敬もしてきた伊丹十三。

  その伊丹十三の妹が、大江氏の奥さま・・・だから相談のし甲斐もあるのでしょうか?

自分の人生のうえで一番大切にしていることが、今日のタイトルだと言われました。

話しの始まりは先ごろ亡くなられた、井上ひさし氏がどんなに素晴らしい人であったか!

その生き方、そして死に方について尊敬をしている。

    井上氏の一番の原理は

「人間は人間に対して、人間的でないことをしてはならないし、させてはならない」ということです。

次に、やはりお亡くなりになった加藤周一氏について。

大江氏にとって加藤氏は先生といえる方でした。

その加藤氏がどういう言葉を大切にする人であったかを、井上氏が次の様に話されたということです。

加藤氏は戦争の時に、大切な友人を失くした(殺された)

どんなことがあっても、友人を殺す者を許せないと。

大江氏、井上氏、加藤氏・・・三方とも憲法九条を守る会にはいってるようです。

沢山の話しの中から一つ取り上げたいと思います。

  シモーヌ・ベイユ(ユダヤ系フランス人)が云った言葉

ベイユはキリスト教徒ではないが、キリスト教に深い理解と尊敬を持っている人。

中世フランスに、アーサー王伝説がある。(聖杯伝説)

聖杯を次に手にできる人が現れるのを待ちながら、

一人の老いた騎士が深い森の中で、聖杯を守っているのです。

そこへ若い騎士がやってきて、老いた騎士に言葉をかけます。

・・・一体 どのような言葉をかけるでしょうか?・・・

  「どこがお苦しみですか?」

このような言葉をかけたのだそうです。

この言葉は、人間の一番深い価値をもっています。

その価値は、不幸であること自体によって磨かれた価値だと話されました。

これは人間的であるとも。

知的障害者に、知的障害者としてのラベルを貼って受け入れるのではなく

知的障害者は不幸であって、不幸を受け入れる。注意深く!

その不幸に対して「どこが苦しいの?」と訊く注意力が大切であり

注意力は鍛えることができるのだと、おっしゃいました。

人は学び続けていくわけだが、間違うことがある。(小学校の勉強の様に)

間違いに気付いて、正しいことを理解し、そのことを記憶し続ける。

これが大切なんだと、云われました。

まだ自分でも理解が良くできてないし、大切なことを省いてしまったかとも思います。

注意深く生きる。。。日々の出来事に流されてしまわないで、自分を磨き、他人に心を寄せられるようになりたいものだと。。。ちょっと立ち止まって考える時間を与えられた気がしています。

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コメント

「生と死をかんがえる」大変重い講演なのでまともなコメントは出来ませんが、我々凡人には死ぬことにそこまで深く考えることが出来ません。
また考えたことで、仕様が無いということを自分の経験で分かっている積りです。
若いとき、雪渓を踏み抜いて落下し出血多量で死にかけたことがありましたが、山の中で二晩孤独死を覚悟しながら、麓に出てきたのですが、、、、、
案外簡単に「死んでも仕様がない。」とあきらめることが出来、じたばたすることがありませんでした。
まわりで、死を見取ることと自分が死に行くと言うことは随分と違うような気がします。

また、「言葉は、注意深くあること」で、私の友達で小さな新聞の編集していた人が、文字は消しゴムで消して書き直せるが、「言葉は言い直しがきかないので、難しい」と言っていたのを思い出しました。
特に、録音で記録する最近ではますますその間を強くしています。
政治家も話をするのが職業である以上、もう少し言葉に注意が必要だと、表題を離れて考えてしまいました。

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