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2010年3月21日 (日)

本を読み終えました。

3月21日 日曜、お彼岸ですね!

何だか全国的にに春の嵐が吹いているようです。

関東地方で風速38メートルとか?ですが、岡山も結構吹いていますよ!

太陽が顔をだしているから、風さえなければ良い休日なのにね。。。

先日、おひな様を見せて頂いた方から、本をお借りしていたので

今日はそれを読みました。

妻を看取る日  垣添忠生著  新潮社  

著者は、国立がんセンター名誉総長。 

奥様をがんで亡くされ、その喪失と再生の記録と書かれてあります。

プロローグ 、  エピローグ 

前書き、後書き・・・この部分こそが、この本の重要な部分です。

その間にある本文、ここは著者の生い立ち、二人の出会い

祝福されない結婚。。。そして妻の病気と、読みやすいタッチで書かれています。

何を一番強く言いたかったか?

・・・エピローグから・・・

私は医師として、数多くの人の死に立ち会ってきた。

患者さんが亡くなったあとの喪失感。それは、何とか救命したいと力を尽くせば尽くすほど大きくなる。

 長年、死を身近に感じる場所で働いていたものの、妻を亡くした喪失感は、これまでに経験したことのない、また想像をはるかに超えるものだった。

 とくに亡くなった直後の苦悩は、「人間が耐えられる限界を超えているのではないか」とすら思った。

うつ状態になり、酒に浸った。妻の服や靴がチラッと目に入っただけで、涙がふき出した。

まさか自分がそんな状態になるとは思いもよらなかった。

最初の三カ月は、一人で悲しみ抜いた。

未来のことを考えられるようになるまでに、一年近くかかった。

 自分はもう二度と立ち上がれないと思うほど、心身ともに弱りきっていたが、時のながれとは人の心を癒してくれるものである。

高齢の男性が一人残された場合の寂しさ、みじめさ、家事の苦労。。。

想像に難くないですね。  だからこそ、女性が少しでも後に残って。。。と

私を含む多くの女性は、なんとなく、そう思っています。

でも、この著者は、

「もし、私が先に死んで妻が残されていたら・・・」

そう考えるとゾッとする。逆でなくて、本当によかった。あの苦しみを、妻には決して味わってほしくないからだ

こう書いています。 でも、どちらが先に。。。後から。。。と望んだとしても

こればかりは選ぶことはできないのですから。

どちらもが、後に残る覚悟をしないといけないのでしょう!

このお二人は遺言を公正証書として届け、銀行に保管してあったので、担当者が自宅まで来てくれて確認、そして遺産贈与手続きの全てを代行して貰えた。もちろん手数料はかかったが、たいへんありがたかったそうです。

    *

グリーフケア (悲嘆の癒し) 近年注目されている分野で、

がんで家族を失った人の悲しみを癒す学問とあります。

 そういえば、私がボランティアに行っている緩和ケア病棟では、

年1回、前年に亡くなられた患者さんのご遺族の集まりを病院主催でしています。

このお集まりのお手伝いをさせていただくこともありました。

患者さんの入院中のお姿、出来事。。。などをスライドで見る。

あの時はああだった、こうだった! と話す。

遺族として、その後の心境などを話す。。。

誰にでもは話せない、だけど胸に溜まっている思いを声に出す。

こんな場があることで、少し楽になったりするのでしょうね。

       *

プロローグから、奥様の最期の数日間を紹介しましょう。

年末の一時退院を許された。点滴から投薬、排泄にいたるまで、私が一人で世話をすることに決めた。

退院した日の夕食メニューは2週間も前から決まっていた。

妻希望のアラ鍋。  鍋を用意したものの、薬の副作用で口と食道がひどくただれ、ほとんど何も食べられないことはわかっていた。ただ、うちの夕食の雰囲気を味わわせてやりたかったのだ。

 ところが私が器に取り分けてやると、おいしいと言って、ひと口、またひと口とうれしそうに箸を運んだ。

 「こうでなくちゃ、こうでなくちゃ・・・・・」と、何度となくつぶやきながら。

 心から満足気な、幸福感にあふれた笑顔。その笑顔は介護の疲れも、沈鬱な心も、たちどころに溶かしてくれた。

私はそれだけで満足だった・・・・かけがえのないひとときとなった。

 

 いつもの通りの会話ができたのは、この日が最後となり、それからは、坂道を転がり落ちるように容態が悪化した。

2日後。 夕方、妻の息づかいが激しくなった。

ずっと意識のなかった妻が、突然、身を起こそうとした。

まぶたがパッと開き、目配せするように私の顔を見る。思いもよらぬ強い力が、私の手をつかんだ。

そして全身の力をふりしぼるように、私の手を強く握った。

「ありがとう」

妻の声にならない声が聞こえた。

・・・私が握り返した直後、妻の手からガクッと力が抜けた。

 妻が手を握ってくれたあの瞬間を、私はよく思い出す。最期の瞬間に、彼女はとてつもなく大きな贈り物をしてくれた。手を握り、感謝してくれるなんて、、、、

あの一瞬がなければ、私はとっくに廃人になっていたかもしれない。

   * 

最後に感謝の気持ちを声に出して伝えること。

これが大事だと、折に触れて耳にしています。

最期のときにこれが上手く云えるかどうかが問題だから、

普段から口にだして伝えましょう。。。とも

でも今の私には。。これが難しい!!

せめて、頭の片隅に、忘れないで入れておきましょう!!

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コメント

こんにちは
tomokoさんは本当に本を読むのがはやいですね。
びっくりです。
ご夫婦のどちらかが病気ではやくなくなり、その記録としての本を私も何冊か読みましたが、とても切ないし、死を覚悟して日々日記として記録する気持ちの強さ、潔さにただただ感心させられます。
前のブログの一人しづか、そそとしていいですね。

静岡は黄砂が激しくて遠望どころか近くのものまで霧がかかったような状態になりました。
普通雨上がりはすっきりするものなのに、、、。

身近な人の死は、それぞれにいろんなことを考えさてくれる機会になります。
最近は、特にそれが多いようで悲嘆にくれる人が意思表示をしています。
私の従兄弟と叔父が太平洋戦争で戦死していますが、当時はその悲しみを世間に向けて表示するのをはばかれる時代でもあり、そんな表情は見ることが有りませんでしたが、戦争に負けてそのことから開放されても愚痴ひとつ聞いたことが有りませんでした。
親が子を思う気持ちは今も昔も変わりないはずですが、、、、

今日は黄砂がひどくて大変な一日でした。
SPも今日読みたい本をみつけました。
四十九日のレシピ 伊吹有喜
妻が夫に遺したレシピ。
私がいなくても、おなたが明日を生きていけるように。です。
今日お墓参りをして主人を偲びました。
なぜか切ないです。

tomokoさんお早うございます。

垣添さんの『妻を看取る日』の序文を読み、
涙が噴き出て止まらなかったけれど、
その後何回も読んで、気持が晴れるのは何でしょうね??

余命0か月、がんの患者は多いのですね。
私の妻は余命0でした。あっても15分だった。
3年は苦しみ辛い思いを重ね、垣添えさんのように、
自死すら考え、今は落ち着いているけれど、
時々フラッシュバックを起こして、
涙が吹き飛びますよ(*≧m≦*)

身近な愛する人の死は、日がたったから忘れられるというものではないですね。どのような別れ方でもなにか後悔ばかりで悔いが残ります。慶などは父親の5年の癌の闘病生活があり、近くにいたので、ある意味十分できることはしたし、最後は静かになくなったのですが、最後の痛がるだけの毎日はつらいものでした。あれが妻の立場だったら、どうだろうと思います。親ならできるけれど、夫なら。ある意味、深い悲しみが感じられるような相手がいるのは幸せなのかもしれないとも思います。身近に老親が離婚した人がいて、しばらく夫の方が家に残っていましたが、先日引っ越すと同時に家を壊し、あっという間に平地になってしまいました。金婚式直前の離婚でした。何もなかったかのようなコンクリートや木のかけらもなくなってしまったまったくの平地になってしまった家の跡を見ると暗然としてしまいます。
みとる相手がいるのは幸せです。とはその時には思えませんけれども…。

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