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2010年2月

2010年2月27日 (土)

涙しまくり・・・「いいかげんがいい」

本を読み終えました。

    いいかげんがいい

              鎌田實著  集英社

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文庫本を少し縦長にしたサイズ。

パラパラと見たところ、短時間で読めそうなかんじです。

でも、読書スピードの恐ろしく遅い私は数日かかってしましました。

今日、夕方から夫は会合があって出かけたのを幸いと。。。

この本の、残りの部分を読み始めたのです。

朗読教室に通ったりしているので。。。

一人っきりになれた時間は、声をだして読めるチャンス!!

アナウンサーの方、俳優さん。。。のレベルには程遠いのですが・・・

気分はそんな感じで読み始めました(笑)

ところが、ところが。。。涙がうるうる。。。字がまともに見えなくなったり

喉にこみあげてくるものが、声をふさいでしまうのです!

これではアナウンサーや俳優さんの真似・・・失敗ですね!

沢山の付箋をつけたり、マーカーで色づけしたり。。。

人生のラストステージを考えさせられる内容です。

今夜、涙した部分を紹介しましょう!

 冬が終わるころの話だ。 70歳の男性が、緩和ケア病棟に入院してきた。

咽頭がんがあり、骨に転移していた。  かつての彼はワーカホリックで、仕事のことしか頭になかったという。 それが晩年、ひょんなことから山歩きを始め、山が好きになった。

東京と蓼科を行き来するうち山で暮らしたっくなり、白樺湖の奥に山荘を建て、大企業の役員を辞めた。

 年をとってからスキーに夢中になった。ゲレンデで滑っているうちに、若い仲間ができた。集まると、みんなで一緒に山の中を滑りまくった。

 がんとの闘いは、数年前から続いていた。がんが再発し、進行しているのも、医師からの説明で知っていた。しかし、彼は負けなかった。手術をし、放射線治療を受け、体調がよくなると、また仲間たちに支えられ大好きなスキーをやりつづけた。がんが骨に転移して、もう痛みをやわらげる以外治療のすべてがなくなり、ぼくらの病院にやってきた。

 病室に回診に行くと、ぼくがスキー好きなのを知って、いつもスキーのことを話しかけてきた。声帯を除去していてしゃべれないので、筆談である。

 昨年も、雪の上にシュプールを描いたという。もちろん、今シーズンはまだ滑っていない。

 信州の長い冬も終わりに近づいたある日、彼がメモ用紙にペンを走らせた。

〈 もういちど すべりたい 〉

痛いほどの願いが込められた10文字を見て、ぼくは約束せずにはいられなかった。

「4月の第1日曜日なら体があきます。スキー場までお連れしますよ。一緒に滑りましょう」

 諏訪中央病院の看護師に、偶然、彼のスキー仲間がいた。サポートしてほしいとお願いした。

 その看護師から、ほかのスキー仲間にも連絡がいった。10人の若い仲間たち。 みんなで準備を進めた。人生の最後になるかもしれないラストスキー。 もう一度、彼を滑らせてあげたいと、みんなが思った。

 ウェーデルンの激しいターンは無理だろうと、彼は承知していた。ゆっくりゆっくりパラレルで、もう一度だけ滑りたいと夢見ていた。

 しかし約束の日の1週間前、がんは脊髄に転移し、両下肢がまったく動かなくなった。

彼の夢だったスキーをすることはできなくなった。

 四月の第一日曜日、10人の若い仲間たちが病院へやってきた。それぞれが雪だるまを持って、やってきた。 彼の大好きな蓼科の雪でつくった雪だるまが10個、病室のベランダに並んだ。

 本当はゲレンデに立って、春山をパラレルで滑り降りたかった。どんなにか滑りたかっただろう。

 間に合わなくてごめん。心の中でつぶやいた。

 しかし今、彼と彼の仲間たちは、10個の雪だるまを見ながら、その向こうにそびえる信州の山並みを見上げている。11の心が一つになって、同じ風景を眺めている。

 もう筆談はできなくなっていたけれど、ぼくには彼が「満足だよ」と、みんなに語りかけているように思えた。

 春の訪れとともに、彼は逝った。

 若い仲間たちに見送られて。

  *

もう少し文中から引用したお話を書かせて下さい。

 watch with me 「私と同じ風景を見よう」 とは、もともとは新約聖書のマタイ伝に書かれたイエス・キリストの言葉だという。

 死を予期したイエスが弟子たちに、「ここを離れないで、私と一緒に目を覚ましていなさい」と語りかける。

 近代ホスピスの創設者であるシシリー・ソンダースは、そんなイエスの言葉にターミナルケア(終末期ケア)を行うホスピスの基本精神を託し、「困難の中を生きる人に寄り添おう」と呼びかけた。 

 緩和ケア病棟で死を間近にした人たちを診ていると、watch with me の大切さが、よくわかる。

  ***

 最近、友人のお一人が、がん治療(抗がん剤)を断って、緩和ケアにきりかえたと、電話で聞きました。 

とっさに何と言って差し上げたらよいのか?

「よく決心なさいましたね。。。」 と。。。言ったのですが。。

これで良かったのだろうか?  

年を重ねてくると、 色々な場面に遭遇する。

思いを深く・・・生きていかなければいけない。。。

2010年2月26日 (金)

千の風になって

「千の風になって」紙袋に書かれた詩

       井上文勝著   ポプラ社

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よみびと知らず・・・だけど、とても心に響く詩・・・と思ってきました。

それが偶然に目にした新聞で、原作者が判明! と知り、

原作者探しに乗り出した、日本の方(井上文勝さん)が本を出されているのを知って、

早速、読んだのです。

原作と、私たちに広まった詩とは多少違いがありました。

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オリジナル版と流布版をくらべてみて!

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  原作者 マリー・エリザベス・フライ

  1905.11月13日米・オハイオ州ディトン生れ

  2004.9月15日 98歳で他界

3歳で孤児になる。 

  12歳・メリーランド州ボルチモアに一人移る

    1929・黒い木曜日と後に呼ばれる大恐慌はじまり

    ボルチモアでも一夜にして全てを失った人たちの自殺・一家心中などが日常的な事件 となったが、一方で、恐ろしい現実から逃れてひとときの息抜きと夢を求める人々で、映画館の前には長い行列ができた。

    これを見たマリーは最も大きい映画館(ヒッポドローム劇場)の窓口の仕事を得た。

    ここで知り合ったクラウド・フライと結婚。リンダという娘に恵まれた

   ナチスの手を逃れてドイツからアメリカに一人やってきた、ユダヤ人少女マーガレットを自分たちが責任者となり、自宅に住まわせる。

   マーガレットがドイツに残してきた病身の母。その母の死を知ったマーガレット

 「せめて・・・ママのお墓の前に立って泣けたらって、最後のさよならを言えたらって、そう思ってしまったの。それができなかったことが、あたしにとっていちばんつらい」

 そのマーガレットの言葉を聞いたマリーの耳の奥から、かすかな声が湧きあがってきた。

 マーガレットの母の声か、自分の母の声か・・・濡れたまぶたを閉じ、うつむいてその声にじっと聞き入った。やがてさだかでないその繰りかえしがはっきりとした言葉となって語りかけてきた。

 「・・・私のお墓の前にたたずみ泣かないで・・・」

うなずいて目を開けると、引き寄せた買い物の紙袋を破り取り、紙片にその声を書きつけはじめた。

 こうして出来たのが千の風になって。。。だったのですね~~

人々の胸をうつ、この詩は人から人へと。。。広がっていったことが

この本には書かれています。

人々の追悼の場で・・・

戦争に出てゆく若者は、僕が死んだらこれを読んでくださいと書き残して・・・

そして私たちの記憶から消えないのは。。。あの!

2001・9・11 ワールドトレードセンターに突入するジェット旅客機。

その翌年の同日、グラウンド・ゼロに集まった追悼者を前に、11歳の黒人少女が

「千の風」を朗読したそうです(私もそうだったと、耳にしていました)

私の知らなかったところでは

1985年8月、日本航空機墜落事故で亡くなった歌手・坂本九さんの葬儀委員長をつとめていた永六輔氏は、この詩を葬儀のなかで読み上げたそうです

これがきっかけで、1995年南風椎(はえしい)氏訳による『1000の風―あとに残された人へ』というタイトルの単行本で紹介され、さらに新井満氏による「千の風になって」という題の自由訳歌曲になる。歌手・秋川雅史氏に歌われて一気に日本中に広がった。

2010年2月24日 (水)

講演会・会場で

今日は、前々から予定していた講演会に行きました。

新老人の会、岡山支部主催の

日野原重明先生の講演です。

以前お話を伺ってから、3年?いや4年位かな?

ステージに立たれた先生、

少し小さくなられたでしょうか?

98歳です。  あと半年もすれば99歳になるっておっしゃいましたよ!

でも、以前同様椅子にかけるじゃなく、

お立ちになったまま、1時間、笑いを沢山交えてお話し下さいました。

昨夜は1時間程しかお休みになってないそうです。

午前中、西宮(兵庫の)の小学校で「命の大切さ」の授業をこなして、岡山へ来て下さったそうで、そのアクティブさに先ず驚きです!

お声もしっかり出ています。

今日は、内容について書けるといいなあ~

と、講演会を聴く前に思っていました。

メモをとりながら。。。聞いていたのです。。。

ところが

何と云うことでしょうangry

私のすぐ後ろから、  グウ~ ググッ!  ズゥ~ッ~sleepy sleepy

え~っ!  なんだぁ~sign03

私の前3列くらいの人が、振り向きます!

だれかぁ~  注意してよぉ~ sweat01

後で(休憩時間に)私も振り向いて確認!

寝ていたのはおばさん。 右隣はよそのおじさん。

おばさんの左隣はおばさん二人連れ。

結局、だ~れも 突いたり、注意をしなかった!

非常に、居心地の悪い1時間でした!

お話を始める前に、日野原先生おっしゃったんです。

「会場の明かりを、もう少し明るくしてください」

「時々、寝る方があるんですよ!」  って。

本当に、先生に対して申し訳ないことでした。down

両隣りの方だけを責めるつもりはありません。

私だって、その気になれば、何らかの方法を取ることができる席だったんですから。

だから、余計に腹立たしいsign03

おとなしく寝る分には、まあまあ。。。見逃すとしても

いびきは・・・ダメでしょう・・・ねっ!

休憩のあとは、地元の方達による弦楽器の演奏

その次は女性コーラス(平均年齢70歳!)

そして、最後は 新老人の会員もステージに上がり

日野原先生の指揮で、合唱をしました。

後ろのイビキおばさん、後半は興味があったのでしょうかねえ?

いびきは聞こえません。

でも、左隣のお二人連れさんは、居たたまれなかったからか?

後半が始まっても席には戻ってきませんでした。。。

なんとも後味の悪い時間でしたdown

2010年2月21日 (日)

はだか祭  

日本三大奇祭といわれる、ここ岡山市西大寺の会陽(えよう)が、昨夜2月20日、行われました。

今年は500年の記念の年なので、近くでもあるし。。。

7時からの花火に間に合うように出かけ、雰囲気を味わい、お参りをしてきました。

車だと駐車場に困りますから、行きは歩いて(運動を兼ねて) 小1時間かけ

帰りはバスを利用しました。

西大寺では最大の、伝統あるお祭りですが、商店街の入り口はひっそりしたものです。

提灯が、かろうじて、お祭りを演出しています。

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会場となる観音院近くには

下の写真のように、飛び入りでも参加できるよう、まわしを売っていたり、着替える場所が設置されています。

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着替えを済まし、いよいよ参加。  まず↑のコリトリ場(水が張ってある)に入って、身を清めます。

珍しいことに、若い女性の方たちが↓

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8時頃から、わっしょい! わっしょい! と掛け声が聞こえはじめました。

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↓ペール缶にひしゃく。 これは裸の軍団に水をかけるためです!

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参道、境内。。。お店が並んで、ぷ~ん! と、よい匂いが立ち込めていますよ!

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↓ こんなお店もあります

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この本堂で宝木(しんぎ)の争奪戦がはじまります。

昨年までは夜中0時に投下でしたが、今年からは10時投下と早くなりました。

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私たちは、早々と帰りましたが。。。

裸祭りが終われば、ここ備前平野に春が来ると云われています。

2010年2月20日 (土)

今日は何の日?

NHKラジオで、偶然耳にする番組(番組というほどじゃなくて・コラムみたいなもの)ですが、今朝ほんとに偶然聞こえてきました。

○○年前の今日・・・ で始まります。

幾つかの出来事を紹介しています。

私の耳に残った・・・今日のできごと

それは1974年、

フィリピン・ルバング島で元日本兵の小野田寛郎さんが約30年ぶりに発見された。

と、云っていました。  

あ~ぁ。。。 そんなことがありましたねえ~~

小野田さんより2年早くには グアム島で横井庄一さんが発見され

「恥ずかしながら。。。」 と おっしゃいましたね!

読書スピードの、すごく遅い私が、今朝早くベッドの中で

やっと読み終えた本があります。

それは

「坂の上の雲」 全8巻。。。長くかかりました。

この感想とかは別の機会があれば書きたいなと思いますけれど、

最後の方は日露戦争の悲惨な状況がほとんどでした。

その後の、小野田さんのこと。。。だったので、

彼の何と大変な人生だったことか!   と

ボタンの掛け方が一つ違っていたら?  とか

ほんの少し何所か事情が違っていたら?  と。。。

胸が締め付けられるようでした。

戦争はしてはいけません!

戦争のない世界にどうして? ならないのでしょうか??

2010年2月19日 (金)

最近気になること・・・

最近、ひそかに私の胸の中で気になっていることがあります。

それは、岡山と香川県・高松とをむすんで運航しているフェリーが廃止されるというニュースが流れたことです。

こうなった最大の原因は、高速道路の休日割引(正確な表現ではありませんが)でしょう。

岡山と四国を結ぶ道路、瀬戸大橋。これはこれで、短時間で四国に行け、私もフェリーより、便利に利用してきました。  でも、費用が高かったんですね!

それが、限られた曜日だけとはいえ、千円で渡れるのですから、当然これを利用する人が増えて、フェリーの方は減ったというわけです。

橋だけ優遇して、船の方には何の優遇措置もとらなかった! これでは片手落ちでしょう。

フェリー関係者だけの問題じゃなく、利用者の問題でもあります。

身近に船旅を楽しめたのに。。。

失くしてしまっては取り返しがつかなくなる!

私は四国・愛媛で生れ育ちました。

東京の学校へ行くようになって、休みごとに連絡船を利用して帰省したものです。

船に乗り込めば、すぐに降り口近くに場所をとり、下船と同時に走って、はしって。。。

汽車(電車ではなく)の席を確保するために皆が必死に走りました。

思い返すと、私も若かった!(笑)

お昼頃、愛媛の家を出て、東京駅に着くのが翌日の早朝だったと記憶しています。

そんな風に慣れ親しんだ、連絡船は橋の出現ですでに無くなり、今またフェリーまで失ってしまったら、選択肢は橋だけになってしまう。

それではいけないと思うのです。

今、フェリーを存続してほしいとの要請が出ているようです。

是非、残してほしいと、私も強く願っています。

クルージング・・・そんな響きに魅かれて、旅を決める人。 きっと多いのだろうと想像できます。だって、海外旅行のパンフレットに、クルージングを売りにしているものが随分増えましたから。

海外まで行かなくても、豪華客船じゃなくても。。。

気軽に、手軽に楽しめる船旅。。。

そんな選択肢が残りますように。

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ボランティア先の病院・緩和ケアに飾られた古いお雛さま

2010年2月18日 (木)

お陽さまにさそわれて

昨日(2月17日) 水曜日はゆったり気分で過ごせる日でした。

朝から友人が届けてくれた、焼き立てパンに舌鼓を打ち。。。

最近、新しくしたばかりのパソコンに向かって、ブログを書いたあと、暫くパソコン相手に

え~と?  え~と????。。。を繰り返す。

お昼の時間が迫ってきた!

困ったなあ~~

と、そこへ夫が帰宅して。。。

「歩きに行こうか~?」  と言います。

私、これ幸い! とばかり、 「ウン!  行くよ~!」

久しぶりにお陽さまが顔をだし、温かそうな感じですsun

「途中でお弁当を買って、芥子山で食べよう!」

私、心の中で (あ~あ よかった・ ウフフ)

歩き始めてみると、以外にも・・・空気は顔に冷たくあたります。。。

私のブログに何度も登場する芥子山ですが、登る道が大きく分けて2つあるのです。

今日は我が家から近い方。 布施神社を右手に見ながら~鹿島公園をめざします。

公園でお弁当を食べていると、近くのブドウ畑で、人の気配が。。。

手入れをしています。

食後は更に少しだけ上り、ブドウ畑が広がった間の道をくだりました。

ビニールトンネルは全てピオーネだと思います。その向こうに少しだけ顔を覗かせているのが芥子山の頂上。

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カメラを少し右にふっても、同じような眺めです。

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まるで、地平線のようにブドウ畑が。。。

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新品のビニールで、その下のネットは二重になっています。

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このあと、我が家の畑まで行ってみましたが。。。

ヌートリアの被害にあって、見る影もなく。。。

無残な状態。ネットのほんの少しの隙間から入り込んだようです。

人参・大根・ほーれんそう。。。全滅annoyannoydown

また20分位歩き、やっと家に帰りました。

そこで我が家の春の花が、気持ちをワクワクさせてくれましたheart04

かんあやめ 群れてきましたね!

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スノードロップも数年たって、すこし増えたかな?

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デージー 

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シンボルツリーのミモザです。 開きはじめましたheart02

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全体を見ると、もう少しですかね!

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2010年2月17日 (水)

友人から思わぬプレゼント

朝、8時頃のことです。

友人から携帯に電話がかかってきました。

いつもはメールばかりなのに・・・?

何事かしら?

少々訝しげに、電話をとると

「パンを焼いたから、これから届けます~」  って!

えっ! パンを焼いた?・・・?

ぴんとこないんですよ!

彼女が??

でも、ほどなく(寒い中を届けに来てくれました。)

マフラーぐるぐる。 帽子をふかぶか、かぶって。 シェフのように長いエプロンつけ・・・

大事な宝物を(パン)かかえながらやってきました!

受け取った瞬間に焼きたてのパンの温もりが!

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温かいうちに、大急ぎで頂かなくちゃheart04

コーヒーをいれ、とっておきのカップをだし。。。と準備を整える。

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今、お気に入りのCDを流して・・・っと

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私、パンがだ~い好き人間。

だけど今朝は何故だか、パンは我慢して食べていなかったんです。

だからこの温かい焼き立てパンの、プレゼントがとても嬉しいhappy01

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彼女の言葉に忠実に、ちぎって・・・食べる!

おいしい!

幸せ感に包まれた、朝です。

そして、何よりも。。。

私にもパンが焼けた!  と、

こぼれるような笑顔で、輝いていた彼女の顔が嬉しい!

ずっとお仕事を頑張ってきた彼女。

昨年リタイアして、これからの生き方を模索しながら今を上手に楽しんでいる彼女。

現役中は、専業主婦のように、あれこれ手をかけて家事をすることはなかったと思う。

その彼女が、してみようと思い立ち。。。焼きあがったパン!

自分にも出来た!!heart02  その喜びが伝わってきたから、私も嬉しくなった。

これからは、時々パンの注文をしたいな! なんて思った。

温かくなったら、彼女の焼き立てパンと、1品持ち寄りでモーニングするのも良いかもね!

夢が膨らんだ朝でした。

2010年2月15日 (月)

雑感・・・千の風になって

昨日2月14日はバレンタインデーでしたね。

お正月気分が抜けたかどうか? といった頃から

世の中は(チョッとオーバー?)早くもバレンタイン商戦が始まっていたように思います。

私の世代、正直バレンタインといってもあまり心弾まない。。。

若い人についていく感じで、渋々お付き合いさせられているような。。。

自分用に、おいしいチョコを手に入れられるのは。。。嬉しいけれど(エヘヘ)

そんな感じを持っていたバレンタインデーでしたが、

3年前の2月14日 義父が亡くなり。。。

昨年の2月14日 義弟が亡くなり。。。

バレンタインデーは二人を悼む日になりました。                  

                                                                                   「千の風になって」の本のことはたまたまカーラジオから流れてきたのを、とっさにメモして・・・ 

Img_3437_3本屋さんで手に入れたのが、5年くらい前だったと思います。

その数ヶ月前に、次男夫婦が初めて授かった子供を10ケ月で亡くしました。

私の友人は、お母様を亡くされたばかりだったと思います。

私は、この本を3冊買い求め。。。

次男の嫁ちゃんに1冊

友人に1冊   渡しました。

その頃から、世の中で、この本のことが話題に上りはじめ。。。

歌も人気になってきました。

時間がながれて。。。話題になることはほとんどなくなりましたが・・・

今朝、新聞をひろげ   あっ! 

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小さくて良く分からないと思いますが。

最初の写真の表紙にあるように(クリックして大きくして)

原詩/作者不明   と、言われ続けていましたよね!

それが、新聞で紹介されている 井上 文勝さん(建築家)は

原作者探しを思い立ち・・・

やがて、一人の婦人にゆきついたそうです!

米国ボルティモアのマリー・E・フライがその人。

1932年に一人のユダヤ人女性のために書きとめられた詩だそうです。

「千の風になって」紙袋に書かれた詩

井上 文勝著   ポプラ社 1260円 

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↑は、この本に出会った時、感動を覚えて、スケッチブックに書きとめたものです。

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ボランティア仲間の方が手際よく紙でつくった水仙

2010年2月14日 (日)

鎌田實先生の講演会・その3

★ ノーマン カズンズ(米) 親日家のジャーナリストの顔写真がスライドに映し出されました。

  彼は米国人でありながら、原爆投下は間違っていたとの立場をとり、原爆乙女の治療にも積極的に力をだした人で、原爆乙女の一人、ササモリシゲコさんをご自分の娘として後見しました。

カズンズ氏は膠原病(難病)になったが、心と体は繋がっているから→心に良い刺激を与えよう・・と考えた→笑う

一日を笑って過ごすようになったら→症状がよくなった。

 このことについての詳しい記事はこちらから↓

 http://www.mmi-net.co.jp/menu/book/bb8/bb8warai.html

笑うこと・希望をもつこと → ナチュラルキラー細胞が増え、免疫力が高まる

彼は、娘となったシゲコさんに、

「シゲコは被爆しているから、笑って無いとだめだよ!」

「そして、たまにで良いから、誰かの役にたちなさい」と話したそうです。

 ある時42歳のお母さんが、余命3カ月と言われて先生の病院へ入院しました。

 9月でしたが、この方は、「息子の卒業式までは生きていたい!」とご自分の願いを話されたのです。

先生たちも、一生懸命お世話して。。。

息子さんの卒業式に出席できました。 それだけでなく・・・

1年後の、年子の弟さんの卒業式までも命を繋ぐことができたのです。

式には出られなくて。。病室で二人だけでお酒で祝いしたそうです。

その1ヶ月後くらいに亡くなられましたが、 それまでの期間で調子の良い時には一時退院をして、その度にお勝手に立ち、子供たちのお弁当作りをしたそうです。

病状が悪くなってからも、「家に帰りたい」 といわれ、

先生たちはもう無理じゃないかと。。。

「では、布団を敷いて待っていてもらい、帰ったらすぐ横になれるように・・・

そして、お家の空気を一杯吸ったら病院へ戻っていらっしゃい」 と

送り出したそうです。

亡くなられてから後に、娘さんから訊いたところによると

「其の時もお母さんはお勝手に立って、お弁当を作ってくれた」

「学校でお弁当を開けてみたら、その時のお弁当はおにぎりでした」

「でも、お母さんが作ってくれた最後のお弁当! なかなか口にできませんでした」

自分があきらめない・・・これが大事です

★ 次のスライドは プラハ・バーツラフ広場に立った先生の写真

共産主義の中で若者が立ち上がり、プラハの春がそこまで来たと思えた時

ソ連の装甲車がやってきて、若者たちはけ散らされ、元の共産主義が続いた。

1988年 男性が一人、立ち上がった。

彼の名はブラダン・コチ 

当然なことに 捕まって、牢獄へ。。。

子供と奥さんが残されました。

誰も相手にしてくれません。 相手にすればわが身が危ないから・・・

奥さんは死を考えます。

でも、ある時 手紙がきて。。。

私も力になりたいと思っている。あなたは一人ではありません。。。

そんな文面と一緒に少額のお金が同封されていました。

奥さんは嬉しかった!

誰か一人でいい。

自分のことを分かってくれる人がいれば、生きていけるのです。

その手紙の住所を訪ねて行きましたが、そこは野原でした。

やがて夫が帰ってきました。彼はチェリストです。

鎌田先生のブログに彼のことが紹介されています↓

http://kamata-minoru.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1526.html

憎しみや、恨みは 何も起こさないが

温かさは、温かさの連鎖を生む。

先生は、「私も99%は自分のために生きています」とおっしゃいます。

「でも、1%だけでいいから誰かのために力を出してほしいのです」 

経済の冷え切った今がチャンスです。温かなことにこだわって。。。

チェルノブイリのお話もして下さいました。

16歳で昨年亡くなったチェルノブイリの女の子。

その子が描いた絵をつかって日本でチョコレートをつくり、売り出しました。

完売です。

この講演会のためには400個用意して下さったので私たちも手に入れました

2日後にはイラクへ出発だそうです。

日本人が世界のステージで素晴らしい活躍をしている!

嬉しいです! ありがたいです!

講演会の後、倉敷でお昼を食べ、ささやかなお土産を買って。。。

倉敷の経済に貢献できたでしょうか?

2010年2月13日 (土)

鎌田實先生の講演会 その2

   * その1 に当たる前回のブログを読んでいない方は

      先にそちらを読んでいただくと、流れがよく分かると思います。

先生は、ご自分の個人的なことを、けっこう詳しくお話になりました。

そのことを抜きにしては、話のインパクトが薄くなったでしょう。

けれど私がくわしく書くのは少し遠慮させていただきます。

余り、さしさわりの無い程度に。。。

先生は昭和23年6月生れ。(60を出たところですね)

柔和なお顔に あごひげをたくわえ。。。

お話は、淀むところなく、ヴェルヴェットのような温かい滑らかさを感じさせる声で

メモも持たず、年代から、日付から。。。あらゆる数字をすらすらと口にされますw(゚o゚)w

先生と私はあまり年齢が違わないので、子供のころの日本は、一握りの特別な人を除けば、全体が貧しかった時代ですと話されるのが、よく分かります。

その中でも先生のお家は貧しかったとおっしゃいます。

そして、お母さんが病気をもっていた。

貧しい家庭で病人を抱えるということが、どんなに大変だったか!

だから先生は、そんな人を助ける医者になりたかった!

高校を出たら 「働け!」 と言うお父さんと喧嘩をしてまで、(最後は自由にしたらええ。その代り何もしてやれないぞ! と言ってもらえた)

と、大学に行く許可を得て、東京の医大に入ったのです。

そこで出会った、三木しげお先生(漢字は分かりません)

       発生学の先生で、この授業に興味を覚えた。

38億年前に命が生れ、長い年月を経て、今がある。

お腹の中に宿った人間の命は、10月10日して生れるのだが、

お腹の中で生命の進化の歴史を体験しながら・・・

 ある時期は魚の様な顔に見え、もう少しすると 両生類に見え、又少しすると 爬虫類のように見えたり・・・  40日目くらいになると人の子らしい顔になり、10月10日後 生れでるのだそうです。

どんな子供も、38億年の生命の命をお腹の中で生き抜いてきた子供。

だから、どの子もかけがえのない命だ  と三木先生はおっしゃった。

人はこのような歴史をたどりながら、生れてきます。その証拠に人の脳には

原始的な部分があったり、争いをしながら生きていた時代の痕跡も持ち合わせています。

柔和なお顔の先生は、自分のことを例に挙げて

「私は、概ね穏やかな性格ですが、ときには暴力をふるいかけたこともありました」

それは、人の脳にある乱暴な時代の部分がそうさせるのです。

これは誰もが持っているものです。。。。っと話されました。

人間はアフリカで700万年前にうまれ、20万年前には出アフリカに成功した若者がモンゴルあたりに行きつく。

そこからは→北へ行き→イヌイット→さらに南へ行く者→ 日本

                 ↓ カムチャツカ →日本  

♪ 椰子の実 ♪ という歌があるけれど、椰子の実は南から黒潮に乗ってやってきます。

日本人は、北からも南からも いろいろなものを貰っているのです。

その中にお母さんからしか貰わないものがあります。

  ミトコンドリア

これを伝って遡って行くと。。。

なんとまあ! 驚くことに 

20万年前のアフリカの一人の女性に繋がっています。

この女性のことをミトコンドリアイヴと呼ぶそうです。

   (私は ミトコンドリアイヴについては未だ理解が十分ではあるません。)

奇跡の星とも呼ばれる 地球

その命を失ってはいけないのです!

先生が子供のころ(とても貧しかった)家に一人でいると、心細くて淋しかったが、

近所の、やはり貧しいおばちゃんが「みのるちゃん!」といって、丼を持ってきてくれた。

人がそばに居てくれるってとても嬉しいものです。

テレビがなかなか買えない家だったので、テレビを見せてもらいに行く。

すると時々、「ご飯食べてお帰り!」 と、食べさせてくれたりする。

みんな貧しいけれど、自分のことはチョッと横へ置いて、他の人のために良いことをする。

人を大事にすれば、良いことは必ずブーメランになって帰ってくるのです。

大学に入るときにお父さんと約束したたった一つのこと。

それは 困った人のことを助けろ という言葉でした。

その約束があったからでしょう。。。卒業後の選択に地方の病院、

それも累積赤字4億円というような、

都落ち とも云える病院を選んだのです。

でも、悪いことばかりではなかった。

何をしても褒めてもらえる。

往診をする・・・褒められる

デイケアを始める。・・・褒められる

この病院に決める前に一度下見をしておけば良かった! 

下見をしたら、ここには来なかったんじゃないかと。。。思ったそうですよ(笑)

その2 はこのあたりで終わります。

残りは又後で。。。

鎌田 實 先生の講演会

2月12日(金)友人と4人で 講演会を聴きに行きました。

倉敷市民会館で、倉敷友の会主催の講演会です。

倉敷まではJRを利用して、およそ30分あまりです。

幸いにして、昨日の雨がなんとか止んでいます。

「友の会」は羽仁もと子が創刊した雑誌『婦人之友』の愛読者の会です。

倉敷友の会は、会員110人とチラシに書いてありますが、市民会館に一杯のお客様(1500人ほどもいるのでしょうか)を集客しての会でした。

鎌田實先生は、もうご存知の方が多いと思いますが、

諏訪中央病院のお医者様

演題   命・環境・平和を守って生きる

  ― がんばらないけど へこたれない ― 

広いステージにはスライドを映すスクリーンがあるだけ、演台もなく・・・

先生はマイク片手に自由にステージを移動しながら

盛り沢山に、実例を取り入れ、グローバルな・・・

そして、命の誕生から今に至る遠大なお話を。。。

笑いと、沢山の涙もさそいながらお話くださいました。

拙い私が受け止めたことを、どれだけここでお伝えできるか?

ほんの一部しか伝えることはできないと思いますが、

記憶の新しいうちに、復習のつもりで書いてみようと思います。

先ず、お話の導入部は、不景気な今の時代に何が大切か?

資本主義社会← みんなで作り出す。

           温かな ウェットな資本主義が大事。

日本は世界で一番多額の貯金を持っている国民。(1450兆円)

このお金を動かさないと景気は良くならないのです。

先生が最近往診した85歳のおばあちゃんとの会話です。(半分寝ているおばあちゃん)

先生  おばあちゃん、最近 お金使ったかい?

ばあ  使ってない

先生  貯金 あるだろ?

ばあ  ある

先生  いくら?

ばあ  言わない

先生  200万くらいある?

ばあ  先生、そんなにあるわけないだろう!

 ( 先生は 簡単にはあきらめないのです。)

先生  100万くらいある?

ばあ  先生、そんなに少ないわけないだろう!

 (先生はこれで、分かった!  120~130万円くらい持っているなっと!)

このおばあちゃんは、頭の良い人で、いつも世話をしてくれる嫁を立てています。

何かしてもらえば「ありがとう。」 「有難う」 といつもお礼を言っています。

先生  おばあちゃん、 口で言うお礼は大事だけど、

     たまには 物で堪えないとだめだよ!

ばあ  それは分かっているけど、老後が心配でね・・・(お金を使えない)

 (今が其の 老後だろ! 僕の往診を受けているし!)

この国は(日本は)安心をくれない国です。

だから、老後が心配で、みんな財布の口をゆるめない。

景気の悪い今、もしかしたら 2番底が来るかもしれない? と言われる今。

  (いっそ、2番底が来たほうがよい。そうすれば上を向いて上がるしかないから)

お金を使うのは 偉い人です。 (車を買う。家を建てる など)

若者の雇用を盛りたてないとダメ! 可哀そうです!

    25~27才 で  結婚して・・・やがて子供ができ

    40才 くらいで・・・家を建てる

    60才 くらいで・・・ローンが終わる

  こういった人生設計が立てられない! (若者が職に就けないと)

日本は 素晴らしい自然がある。

日本は 世界一治安が良い。

これを 守り抜いていくには・・・若者の雇用が大切です。

  ここからはスライドを見ながらのお話です

★グリーンランドと氷山の一角(スライド)

    38億年前に命が始まった

    38億年前の氷河の中から 炭素が見つかった→

                  生命があった証拠です。

命って何だ!

   水の中か、水辺で、一滴(ひとしずく)の様な細胞に命が宿った。

   命→代謝をすること。

   生きていること→代謝していること。

はじめの命→単細胞の命↓

           ①細胞のなかで代謝をすること

           ②伝える機能が備わっていた。(コピーする)

10億年前 かけがえのない命が生まれた

     ♂  ♀ → コピーでない、新しい命が生まれる

★ゴーギャンの1枚の絵

     Photo       

この絵には我々はどこからきたのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか という題が付いている。

  ゴーギャンはゴッホと同時代を生きた人ですが

  売れない、褒めてくれない。そして娘の死があり・・・

  失意の中 タヒチ島に渡り、この絵を描いたのです。

  その頃のタヒチ島は未開の地。

  そこへ行くということは上りじゃなく、下るということを意味する。

  「下る人がいるのは 大事なことです。ゴーギャンは下る人でした。」 と鎌田先生は話さ    れました。

この絵には 右下に子供。  中央に成人。  左には老人と思える人たちが描かれている。 だから先生、はじめは人の一生を描いているのだと思った。

ある時 弘法大師が死をまえにしての言葉を知り考えが広がりました。

その言葉は

 生れ 生れ 生れ 生れて生の始めに暗く

 死に 死に 死に 死んで死の終りに冥し(くらし)

この言葉を当てはめてゴーギャンの上の絵をみると、

絵の両端に描かれていない闇の部分があると思えてきた。

ゴーギャンはキャンバスの外を意識していたのではないだろうか?

    まだまだお話は続きます。 が、長くなるので

    第一部としては 一応 ここまでで・・・

    続きは なるべく早く(今日にでも)書きたいと思っています。

2010年2月11日 (木)

建国記念の日

今日は、祝日? 祭日?  それとも 旗日(はたび)?

正確には何と言えばいいのでしょう?

何だったっけ?  はっきり分からないけど、とに角 休み!

なんて 曖昧なまま。。。に過ぎてしまうことってないですか?

今日は 建国記念日  ですか?

さっき ちょっとネットでみたら、そうじゃないんだって!

正確には  建国記念の日  と言うそうです。

 詳しくは→ http://present.matoshin.com/colum/bak/kenkoku.htm

昔、旗日 なんて言っているのを聞いていたように思いますが、

今は死語となってしまった感がありますね。

旗 (日の丸・国旗)を出す日だからこう言ったのでしょうが、

現実的には お正月だって、国旗を出す家は。。。?

さてさて、ご近所を考えても 思いつかないです。

今日も 旗日 には違いないと思うのですが、我が家から市内まで出かけてきて、国旗を出している所は一か所だけ。 それとバスには付けてありましたが。。。

派出所とかは出すのかと思ったけれど、私の見た派出所は出してなかったです。

こんなことにこだわる訳は、我が夫、絶対に忘れずに国旗を出すからです。

7~8年も前のことになりますが、海軍兵学校出の、夫のおじさんが、

『あんたんとこは偉いねえ~。  祝日に日の丸だしとんの、このへんじゃ ○○ちゃんとこだけじゃ~』  ○○ちゃんとは、夫のことです。

と言って褒めて(?)もらいましたが、そのおじさんも日の丸は出してなかったようで。。。

外国に行くと、国旗を目にする機会がとても多いですよね!

これって、多民族の国が多いから、自分はこれこれの国の人間だよ!ってアピールしているのでしょうか?  アパートの窓に国旗を下げていたりしますね。

日本人としては、何といっても日本を愛しているわけですから、

(どんなに危なっかしく、頼りなく、不満に満ちていても)

せめて、気持ちの中だけででも、日の丸を掲げていたいと・・・

そういう気持ちに値するだけの国であってほしいと・・・願っています。

2010年2月10日 (水)

ハプスブルク帝国の栄光

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岡山県立美術館で開催中の↑に行ってきました。

すごい人気だなあ~up と

人出の多いことや、駐車場の空きを待つ車の列をみて、

以前からそう、感じていました。

いつ 行こうかな? って。。。

今日、水曜日は私の決まった予定が無い日です。

少し雨模様ではありましたが、

 そうだ! 

 今日行ってこよう!  と。

大急ぎで支度をして。。。っと

年から年中、パンツ姿の私ですが、

今日は珍しく、 

スカートをはいてみました。

だって、観ようとするものが、

かの ハプスブルク帝国 のものですから(笑)

開館10分を過ぎたあたりで、入館しました。

入口では、友人と待ち合わせしている人が何人もいます。

私は一人で行ったので、挨拶の言葉から、説明文から

ほとんど全てにゆっくり目を通しながら、観ていきました。

ちょうど半分くらい観た所にビデオを上映しています。

ここも人気が高くて、1回ごとに入れ替わって席を確保する感じです。

私は、席の確保ができなくて、座った人のすぐ後ろに立って見ていました。

私の前にはおばちゃん、二人連れとお一人のおじさんが座っていたのですが、このおばさん二人が、切れまなくおしゃべりをして。。。bearing

私、よほど注意しようか~ って思いながら・・・できなかったのです。

しばら~くして、おじさんが

「少し静かにしてもらえんか!」 って注意されて。

このおじさんも、随分我慢していたと思いますよ。

そして、注意するって、勇気が要りますよね!

でもね、おしゃべりはこのお二人だけじゃなくて、お友達二人連れのおばちゃんは、よくしゃべります。

素朴な疑問を投げかけるのは、いいんです。

自分の知識を、全部吐き出すように、自慢げに話しているのが聞こえてくるのはとても嫌な気分になります。

かといって、友人たちと一緒に観に行けば、黙って自分のペースで鑑賞するのも、気詰まりかな?

本当にじっくり鑑賞するには、一人で行くのがベストかもしれないな。

そんなことを感じました。

シェーンブルン宮殿をはじめとして、幾つかの有名な宮殿にある椅子や、肖像画。

そして私のとても興味がある食器をはじめとする、テーブルウェアなど。。。

見ごたえがあり、勉強にもなりました。

1時間半ほど、ゆっくり鑑賞して出るころには、すご~い、人・ひと・ひと。。。でした。

2010年2月 8日 (月)

ロシナンテスって?

ロシナンテ

何のこと??  ロ シ ナ ン テ  (後でね!)

昨夜、お風呂上りに スイッチオン したテレビ。。。

伸介さんが司会する 「行列のできる・・・」 をやっていました。

寛平ちゃん、頑張ってるな~。。。

・・・次に、伸介さんが会いたい人 と云うコーナーで、出てこられた方。

身体はごっついけど、笑顔が素敵な男性です。

伸介さん、朝日新聞で紹介されていた、この方の記事を読んで、会いたい! と思ったそうです。

その方は  川原さんといわれる、お医者様。

高校ではラグビー部のキャプテン。

大学は、人の役に立ちたいと思って、医学部へ。

そして、外務省の医官(こんな名称だったと思う)に。

スーダンに派遣されて、スーダンの疲弊した様子を見る。

医者として、助けたい! と思っても・・・

その時の立場では、日本人しか診ることができなかった。

そのうち、外務省を辞めたくなった。

奥さんに相談を持ちかけた。(子供3人いる)

奥さん「彼方は言い出したら、実行する人でしょ」

奥さんは直ぐ、仕事を探し、働き始めた。

 (外務省を辞めると、収入が0になる!)

彼はスーダンで、ボランティアで活動を始める。

医者から始まり、女性の教育機関、子供のサッカー指導など。。。

川原がするのなら。。。と元ラグビー部の人たちが支援に立ち上がり

NGOロシナンテスを立ち上げた。

勿論、大学の同僚たちも応援している。

以上、ごくごく簡単に紹介しましたが、細かい部分では間違いもあるかも知れません。

昨夜、ネットで検索したところ、沢山のアクセスが集中したようで。。。

アクセスできませんでした。

さっき、アクセスできましたが、まだゆっくり見る間がなかったので、興味のある方はこちらから→http://blog.rocinantes.org/

そして、ロシナンテ とは

ドンキホーテが乗る、やせ馬の名前です。

やせ馬も沢山寄れば、強くなるだろうと。。。

ロシナンテスとしたそうですよ!

お雛かざり

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お雛まつりのシーズン到来!  という言い方は変かもしれませんが、

近年、各地のひな祭りが盛んになったようで、ツァーも組まれていたり、

おばちゃんの話題にものぼります。

夫と二人でひな祭りを見に行くというのは、なかなか。。。coldsweats01

そこで とりあえず、我が家のお雛様に登場してもらいました。

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小さいお雛様にも登場してもらい。。。

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折り紙のお雛様

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木彫りの小さいものです。

蓋になっていて、これを開けると、とても小さなお雛様が。。

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我が家のお雛様たちが勢ぞろいしましたheart04

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お雛様を飾ると、ぱっと 明るい雰囲気が広がります~heart04

女性にとっては、心ウキウキする季節です。

外はまだまだ寒いけれど。。。

春は近くまで来ている!  

ダブルのクリスマスローズ が開きかけてきました。

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寒あやめも、咲いています。

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スノードロップ、日中はもっと開きます。

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2010年2月 5日 (金)

晩白柚

晩白柚(バンペイユ)を頂きました。             22_001

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随分立派!  二人暮らしの我が家では、なかなか手が出なかったのです。

それは、果肉だけ食べて、皮のほうを捨ててしまっては、あまりにもったいない!

と、いっても皮の砂糖漬けをする元気がなかなか出なくてbearing

でも、やっと元気が出てきましたよ。

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果肉のほうは、ボツボツ頂くとして。。。

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大きい鍋で湯でこぼすこと3度。

一晩水に浸け、翌日シロップで、水気が飛ぶまで、小1時間火にかける。

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外で乾かし。。。(夜は室内で)

でもまだまだ、乾きそうにない!

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そうそう! 細く切って・・・  この方が早いよね!

丸1日乾かし、 細かいグラニュー糖をまぶしたらできあがりheart04

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ちょっとした、お茶うけにぴったりです~delicious

果物と一緒に入っていた説明書を載せておきます。

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明日、音楽を楽しむサロンがあるので、ティータイムにお出ししようと思います。

ケーキも焼きました。

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カトルカールといって、卵・粉・砂糖・バターが同量ずつ入ったスポンジケーキです。

2010年2月 2日 (火)

ボランティア・節分

今日、2月2日 (火曜日) 私がボランティアとして、岡山済生会病院へ行く日です。

朝9時、車で出掛けました。

いつもの道、それは百間川(ひゃっけんがわ)の土手沿いの道。

今朝方まで雨が降っていたという感じが、その風景全体から感じ取れる。

土手の斜面を覆っている枯れ草・・・ この色、明るい茶色なんだけれど、雨に濡れてつやつやと輝いている。 アスファルトも全体が濡れて濃いグレーだし。。。寒いけれど

お日様が顔をだしているから、春が近いようすが、あたり全体から感じられる。。。

とても気持ちよい時間だった。

土手道から、市内に入ると、車の量がぐっと増えた。

基本的には、私は2車線の内の右車線を走る。

時々、前方に右折する車が止まっている。

が今日は、そんな場面で、さっと左車線に上手く入れて、すいすいと走れた。

今日は良いことがありそうな。。。そんな気分になる。

9時半過ぎに 病院の緩和ケア病棟に着いた。

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壁面の飾りつけは、私たちのグループの仕事です。↑↓

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↑ は 寒ぼたん  なかなかの出来でしょ?

節分を明日に控えて、1日早いけれど。。。

午後から 病室をまわって 豆まきです

用意はできたかな?

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手作りの衣装をつけて、ベッドに休んでいらっしゃる患者さんお一人お一人に「おには~外~」と、豆をまいていただきました。

バックコーラス担当の3人が 歌います。

note 鬼は外 福は内 パラ パラ パラパラ 豆の音

鬼はこっそり 逃げてゆく note

  こんな 感じで とても簡単ですが、心をこめて、豆まきをしました。

男性の鬼さん役は  病院の名誉院長先生です。

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