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2009年10月22日 (木)

自分の名前の疑問が・・・

私には自分の名前について疑問があった。

それは小学生か中学生の頃に、母から聞いたひと言。

「智子と決めて、役場に届けたら、

『この字は皇族の○○様のお名前と同じだから、使えない』

と云われ、仕方ないから智の日を除して知にした」

大体、こんな話だったと記憶している。

皇族、皇室と云うあたりは確かなのだが

それが一体どなたのことなのか。。。?

記憶が定かでないんです。

中学は、東京の学校に行くようになりました。

同じ学年に M・智子 という名前の人がいたのです。

・・・あれ~っ?・・・なんでぇ?・・・東京ならよかったわけ?

当然、そういう疑問を持ったわけです。

その疑問を、いったい何処に持っていけばよいのやら?

まだ子供だった私には。。。?でした

唯、ず~っと。。。胸のなかに疑問が住み続けて・・・

ウン十年。。。

その疑問も風化して。。。苔でも生えるくらい時が過ぎて行きました。

それが、昨日 私のお気に入りにも入れてある 

オラ ケタルさんのブログ→http://hida.cocolog-tnc.com/fuji/

を読ませてもらっていたら、皇女和宮さまのお歌が引用されていて

私の疑問符が突如頭をもたげたのです!

○○の宮 智子さま

ネットで検索!

遂に!

判った~~!  きっと、この方に間違いない。。。!

女帝 後桜町天皇

幼名を以茶宮(いさのみや) ・ 緋宮(あけのみや)

イミナ・・字が出てこないので・・言べんに、偉のつくりを書く・・

    を智子(としこ) と云う

第117代天皇

在位1762~1770 江戸時代(宝暦・明和) 

これが判明したのは、昨日から今日にかけてのことですが・・・

M.智子さんの名前については2年ほど前に彼女から真実を聞いていたのです。

結婚が決まった、息子さんのお嫁さんとご自分が、同じ名前 M.智子になるから、

これからは、私は戸籍上の名前 智 に変えます。 よろしく!  っと。

彼女の場合、やはり智子では受け付けて貰えなかったのですね。

それでは・・・と、子の字を除いたのだそうです。

今の時代。。。いいえ、 私の年代の人でもこんな事を言っていたなんて、思ってもみない方がほとんどでしょう。

でも、私だけじゃなかったんですよ!

M.智さんもそうだったんですから!

ついで。。。と言っちゃなんですが。。

後桜町天皇さま・・・近年の皇位継承問題から、最後の女帝として俄かに注目されている

と、書かれてありました。

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コメント

名前のことでそんなことがありましたか、前に話題になった「悪魔ちゃん」でもあるまいし、戸籍係の一存だったのでしょうか。
それなら、付けられない名前一覧表でも作っておけばよかったのにと思いますよね。

名前には、親の思いがこもっているようで、私の名前も親父が中国に出兵した時、助けてもらった戦友の名前を貰ってと言っておりましたが、それなら私の名前は明治の名前かと気落ちしたことがあります。

こんにちわ

tomokoさんは高貴なお名前だったのですね!happy01
私なんか、父が戦死して(まだ確かではないころ)祖父がつけてくれたらしいのですが
「百姓の娘に、子などつけなくていい」と・・・
それでおてんばに育ったのでしょうか?
まあ名付け親の意図にかかわらず、昔はいろんな事があったようですね!
役場の受け付けた人が字を間違ってそれが戸籍に・・・などと
泣くになけないような話も聞きます。
親は望みを託して名前をつけますが、最近は由来もなにも読めないしどこの国の?なんてのもsweat02

こんにちわ。
慶も違う理由ですが、名前の漢字を変えるため簡易裁判所で裁判をしたそうです。昔は漢字の読み方が一通りでしか読んでくれず、届け出た漢字だと「カコ」となってしまいいろいろ不便があったらしいです。両親とも名前でからかわれたそうで、、それで、父親が名前の読み方で苦労するとかわいそうだからと、変更したそうです。
 今の名前は一度じゃ読めない名前ばかりですね。
 慶の知っている中では「サンタ(燐焚)」
 ヨット(海斗)ちゃんとマリン(茉莉海)ちゃんの兄妹等など
いいのかねえ。
tomokoさんのご両親は悔しかったでしょうね。せっかく考えてつけてくださった名前なのにね。

今晩は
昔は名前を付けるのもいろいろ制約があったのですね。
今では考えられないことですね。
私も親は漢字で久子と付けたつもりでいたらしいのですが
小学校への入学案内をみたらカタカナだったのでびっくりしたそうです。
どうやら役場に名前を届けに行った父親が酔っ払っていて
呂律が回らない状態で届けカタカナになったのではないかということでした。
昔はこのテの話が多かったようですね。

おはようございます。
tomokoさんのお名前にも、そういうエピソードがあったんですね。
昔の融通のきかなさに比べたら、今のお役所の懐の深さ(?)に驚きます。とんでもない読み方やら名前やらも、珍しくないですものね。
若い両親のつける今ドキすぎる名前に
いいのか、どんな名前で?!年取った時、その子、大丈夫か?!
と思うこと、けっこうありますねー

そんなことあるの?とびっくりしました・・
私の年上の友人には「智子」さんがいますが・・(笑)
名前のエピソードはみんな「深い」ですよね
親の思いも考えも色々でしょうが、現在はねえ・・
何て読むのかわからない名前というのは
どうなんだろう・・とやっぱり思ってしまいます

自分の名前の疑問が解けてよかったですね。
私は自分の名前は好きではありません。
みんな「子」のつく名前で私だけが「み」だったのです。
今は変わった読み方の名前が多いですね。

「智子」という名前の話です。
私の名前は、貞智(さだとも)と言います。父・貞光と母・智子(としこ)の字をもらって、貞智です。
あなたの 2009年10月22日のブログでやっとたどり着けました。

母は明治44年愛媛県土居村(新居浜の東隣)で生まれ、智子(としこ)で入籍、昭和7年に結婚し
小倉市(現北九州市で住居を移しました。
ところが、昭和11年に市役所から、智子(としこ)は皇族に同じ名前があり、利子と名前を変えさせられました。
戸籍謄本には、
  「昭和拾壱年八月許可によりその名智子を利子と変更届出、同年九月受付、昭和参拾九年拾月記載」
と書かれています。許可により変更届出というのも変です。
また、変更届が昭和11年で戸籍記載が28年後の昭和39年というのも異常です。
母からこの話を聞いていましたが、皇族の智子さまは、何時の方なのか探しようもありませんでした。
本日、江戸時代の後桜町天皇(最後の女性天皇)、智子(としこ)内親王に行き着きました。
あなたのブログのお陰で、疑問に思っていた母の改名の皇族にたどりつけました。
ありがとうございました。

flairSada様

驚きました!  コメントを残して下さって本当に感謝です。  お母様の時代もそうだったのですね!
何時頃まで、こんな規制がかかっていたのでしょうかと、今度はそちらも気になります。
アドレスの記載がありましたので、メールを差し上げようかと・・・よろしいかしら?
私の出身は新居浜の近く、今は 西条市。JRの駅では壬生川という町です。これも奇遇ですね。

壬生川ですか、水のきれいな町ですね。
母は、利子(としこ)と変えさせられ、涙ぐんでいました。長年使っていた名前を変えさせられたのですから。
智子(ともこ)だったら、いいと言われたとか。でも、名前を呼ぶ時は、としこなので、泣く泣く利子にしました。
今は、こんな規制はないでしょうね。愛子さんはたくさんいるし。
でも、戸籍の記載は、昭和37年と戸籍謄本には、書いてあります。
ひまなので、北九州市に問い合わせてみようかと思っています。
メールは歓迎です。HPにもどうぞ。

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